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□投稿者/ 山口
- 03/3/8(土) 14:51 -
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>井沢氏等のザジャパニーズサヨク侮蔑者におかれては、自らの取捨選択機能に柔軟さが欠如しているのではないかとの自省を求めたい?無論、これは私にもあてはまる。限られた情報と限られた受容能力という、きつい束縛から未だに逃れられずにいる私は、人生の局面でたびたび最適の選択を逸っしてきた。
面と向かってこういう正直な心情を吐露されたことがあるのです。曲がりなりにも目上の人だし、正直いって困惑した。この期に及んで心にもない気休めをいっても仕方ないし、かといって「ホント要領悪かったですねぇ。全く見ておれませんでした。」とも言えないし。黙って聞いて「はぁ・・・」と生返事をお返しする以外になかった。
そういう実体験その他に照らしてさらにこんなことは言いたくないのですが、これこそが90年代の日本でしょう。ぼくから見える範囲のことをいえば「限られた情報、限られた受容能力、さらに限られた決断力という、きつい束縛と制約から未だ逃れられず、大事な局面でたびたび最適の選択を逸し、無策のままに墓穴を掘ってきた」ような人々がハンドリングしてきたのが90年代の日本ですよ。表現が悪しざまに過ぎますが、このBBSの人たちが指摘する通り、大勢がそういう方向だったことは否定できないと思う。
自称左翼というハンドルネームで、ご自身の現状と過去をそのように回顧される一方で、その時期に進んだ経済不況・失業者増・犯罪増加の責任をまるで他人事のように感じているとは、これいかに?。
因果関係に対するクールな思考経路が切れてるんじゃないですか?かりに「私は一庶民だ!」としても、もしもサヨクの元勇者の世代ならば、年齢的にいって周囲の者たちにそれなりの影響力を及ぼす立場にある。かりに10万人そういう人がいればマクロ的には人口の数パーセント程度には十分伝播すると思う。現在の経済統計ベースの失業率が5%台、決して小さくない数字の筈です。
若者ならそのスタンスで充分走れると思うんですよ。でもそうではない。続々と年金受給者にならんとするいま、ここらでいい加減、なにかを感じていただく必要が絶対にあるとぼくは確信する。
>蛇足であるが、サヨクという呼称はレッテルを貼るということを通じた差別であると私は考えています。サヨクの意見に同調して物を言うとき、人は概して「私は決して共産党の支持者ではないが」「私はサヨクとは無縁の人間であるが」と枕詞を付ける人が多い。日本では、サヨクはのさばっているどころか、むしろ、後ろめたさをもって語られる存在であることを付け加えたい。
「私は決して共産党の支持者ではないが」「私はサヨクとは無縁の人間であるが」と枕詞をつけて、都合のいいときだけやれ民主主義だ法治国家だ人権だと騒ぎたてる人々とその縮小クローンのことを、ぼくは便宜的に「ザ・ジャパニーズ・サヨク」と呼称しています。現世利益を求める宗教の信者と同一ディレクトリー。でなきゃ「ザ」までつけませんよ(笑)。サヨク・左派・リベラル派は世界中にいるんですから。
上の世代と下の世代では目線・視点が違うということ。今後ますます下からの目線が増えることをお忘れなく。
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