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>文節「蛇足であるが。。。」では、「サヨク」という呼称が、他者の意見表明を封じてしまうという抑圧効果をもたらし、結果として其のたぐいの考えが排除されてしまうという危険性(差別)を指摘した。自由闊達な議論の場でそうしたレッテル貼りを持ち込む事の非は明らかであろう。私自身は、「馬鹿、あほ」といった類の罵詈雑言より、その悪質さでは、より深刻と考えている。
「これまでの人生でだれよりも沢山レッテル張りをやってきた。その戦術的効果はだれよりも熟知している。ゆえに、その手を自分に使われることに、だれより強い拒絶反応を示す」
これがぼくの所見。もしもぼくの投稿が他山の石になったのであれば、望外の幸せとするところです。
>私がサヨクを自称するのは、サヨクが無謬であるからではない(実際、そんな筈は無い)。現世利益に体ごと執着するからである。(略)土曜日、田舎からたまたま東京に出て、イラク戦争反対のデモに遭遇した。私の世代とあの若い世代、目線・視点はそれほど違っていないように私には思える。
そちらでも反戦デモが予定されているそうなので、その矢先にこんなことは言いたくないんですが、目線・視点があの世代とそれほど違わないんだとすれば、全然見込みないじゃないですか・・・。
こっちのまともな左派にはちゃんとした「ルーツ」がある。現世利益に体ごと執着するような無様な人は、ぼくの周りにはいない。思想・信条・その他もろもろの部分に大きな隔たりはありますが、ぼくは一定の評価をしており、おつきあいもありますよ。
率直にいって、神主・僧侶と新興宗教信者くらいの違いは十分あると思う。日々の生活や心の持ち方からして「ザ・・・」とは全然違う筈だという意味。実物を見せることができるものなら、お見せしたいですよ。若い方、あるいはぼくと同世代の方に。
今回は間に合わないけど、英語力を磨いて、太平洋を渡るお金を貯めて、一度こちらのデモに参加し、そこでヒトに接することをお勧めしたいです。レプリカばかり見ていては審美眼が育たず、才能があっても開花しない。
ぼくは、きちんとした左派・リベラル思考の持ち主は、エリート層と同じくらい日本に必要なもの(現在は決定的に欠けている)だと思っている。それは両輪の一つなので。
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