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  [503] 「シルバーシート」は国の恥
  
        
  
中国のことをいくら考えても、しょせんはヨソの国のことです。我々は自分の国のことを真剣に考えるべきだと思います。その問題提起を一つ。日本に住んでいる方が(おそらく)気付いていないことで、外国に住むぼくの目から見て日本における最大の失政の一つだろうと思えるものが、電車などに設置されている“シルバーシート”の存在なのです。

アメリカにも駐車場だと障害者向けのスペースが多く確保されていますが、公共交通機関のpriority seatingは探せばどこかにあるだろう・・・程度。あれほど大々的に障害者・高齢者向けの座席スペースが確保されているなんてことはありません。帰国するたびにあれを見て、ぼくは「おや?」と思うのです。

あの手のシートがあれほどの規模で存在するということは、困っている人に対してだれも席を譲らないという慣習があることを意味し、困っている人がいても周囲がだれも助けないことを意味する。日本はそれほど無慈悲で冷たい国です、と内外に宣言しているに等しい。ウヨクみたいなことを言ってしまいますが(笑)・・・、武士道の精神の流れを汲む日本にとって、シルバーシートなど国の恥以外の何ものでもありません。民族の不名誉とすらいえる。だいたいにおいて、あんなシートがあれほど大量に設置されている国を、ぼくは見たことがありません。

普通の道徳心がある健常者なら、車内にそれらしい人がいなくてもあそこに座るのは憚られるはず。また、自分が不幸にして身障者もしくはヨボヨボの高齢者になっても、ああいう差別的なシートに座るのは不愉快あるいは不本意です。自分が差別/区別されるに足るロクデナシのように思えてくる。もちろん、ここらへんは人によって感じ方や価値観が別れるところで、権利だから行使するぞ!という割り切りができる人だっているかもしれませんが。

電車は帰国しても1〜2回乗るかどうか程度で、本当のところはよくわかりません。が、ぼくの見たところ、日本で運行されている電車の総シート数の10%程度が事実上のデッド・スペースと化し、有効に利用されていないように思う。大事なことは、その非効率きわまりないデッドスペースが、良識ある人々の良心とモラルを蝕み、痛めつけ、そして人間が本来持っている「困っている人を助けよう」という自然な気持ちをマヒさせてしまうこと。

ああやって強制的にシートを確保しなければお年寄りや障害者はだれにも席を譲ってもらえないのだろうか?自らが障害者や年寄り(のような社会的迷惑な存在)だとアピールし、権利や人権を主張しないとまともに席に座ることすらできないのだろうか?と。
たとえば、松葉杖をついて(あるいは車椅子に乗って)ニューヨークの街を歩いたら、1時間で一体何人の人が助けてくれるでしょうか?おそらく見当がつかないほど大勢の人々が、ドアを開けてくれたり道を譲ってくれたりエレベーターを譲ってくれたり交差点を渡るのを助けてくれたりすると思います。ぼくだってそうします。やらねばならないのではなく、そうするのが当然だと思っているからです。

ぼくの意見ですが、シルバーシートは斜陽国家・二流国家たるニッポンの象徴。当初は(おそらく)それなりの考えがあって導入したのでしょうが、その実験は失敗です。全廃すべきでしょう。代わって、困っている人を見かけたら周囲の人が助けることを、道徳なり宗教なりの叡智で広く教えるべきです。困っている人がいたらコミュニティー全体で支えようという意識を取り戻すことが大事。本来の日本にはそういう道徳心や高い(というより普通の)モラルがあると思います。身近なところから国やコミュニティーを暖かいものにし、同じ日本人同士なんだからみんなで助け合っていこう、という空気を広げていくことが大事だと思う。
 
  
  
  
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  [504] Re(1):「シルバーシート」は国の恥-言われてみるとそうですな
  
        
  
 まあ、そうですな。
 あんないらんことするんは問題です。
 ああいうことをして、失敗したために、以下のことがあるように思います。

 私は、いろいろ自転車でまわって見かけるのですが、明らかに身障者のためと思われるスペースに平気で駐輪している連中の多いこと。
 身障者マークがでかでかとついてないと、「身障者用ではないんか」ということで、平気で障害物を置いたりしております。
 マークが目立つようでなければ、TPOを考えることなく、平気で駐輪したりして邪魔をする。
 マークがでかでかとあると、障害者の心理的抵抗が大きい。

 社会で生きるものとしての規範やモラルを教える必要があります。
 これには、欧米の場合、「日曜学校(教会)」というすばらしいものがあるんです。
 日本の場合、これがない。
 どうするべきか?
 
  
  
  
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  [506] Re(1):「シルバーシート」は国の恥
  
        
  
 「健全な肉体に健全な精神がやどるべし」とギリシャ詩人ユベナリスは言いま
した。よく誤解されるんですが、これは正しく現代語に訳すと「健康な人は健康
な精神を持てばいいのに」ということです。つまり、ギリシャ時代の昔から、健
常者は不健全な精神を持っていたということです(^^;。


 アメリカはキリスト教国ですよね。
 キリスト教のWebsiteを見ていて知った話なんですが、キリスト教には
「チャリティ」という教えがありますよね。
 これはよく、キリスト教徒でない人は誤解するんだそうですが、けっして
「慈悲」や「隣人愛」のような、自発的なものではなくて、「おまえ、キリ
スト教徒なんだったら、善いことをしろ。そうしないと天国には行けないぞ」
というような、半ば強迫によるものなんだそうです(^^;。
 つまり、他人に善いことをすれば天国に行けるから、善いことをする、と
いうことです。ま、ある意味自己中心的な発想による行為なんですね(笑)。


 それに対して、日本人はそんな発想、持ってません。
 だから現代において、社会制度として弱者を保護する政策が必要だったんです。
 そのひとつが優先座席(シルバーシート)というわけです。


 それ以外にも、諸外国に比べて、福祉の施策は日本は結構進んでいます。
 ま、さすがにデンマークなどには劣りますが。

 アメリカはどうでしょう。
 高負担・高福祉が北欧型と言われるのに対し、低負担・低福祉はアメリカ型
だといわれます。

 はたして優先座席を、不要だから作らなかったんでしょうか?
 「なくて当たり前」、「ハンディキャップを持つ人は不便をして当たり前」、
「平等にして当たり前」などと考えていても、作られないでしょうね。
 僕はむしろ、後者のほうなんじゃないかと思うんですけど。


 そういうことを考えると、この優先座席という制度は、むしろ諸外国に胸を
張って言える制度なんじゃないか、なんて思ったりしますよ。
 
  
  
  
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  [516] Re(2):「シルバーシート」は国の恥
  
        
  
こんにちは。やや本題からはそれますが・・・


> アメリカはキリスト教国ですよね。
>「チャリティ」という教えがありますよね。
> つまり、他人に善いことをすれば天国に行けるから、善いことをする、と
>いうことです。ま、ある意味自己中心的な発想による行為なんですね(笑)。
>
> それに対して、日本人はそんな発想、持ってません。


日本人が持っていないのではなく、ちーさんがご存知ないか、もしくはお忘れになったのです。

「情けは人のためならず」という諺がある。

これは、かつて中学あるいは高校の入試の頻出語句だった(はず)。他人に情けをかけてもその人のためにはならない、という解釈をすると×になります。

ぼくは、人間の叡智が洋の東西を隔ててそれほど違うとは思わない。日本にだって、極楽浄土に行きたい一心で精進している人がいるかもしれないですし。もっとも、そのエッセンスを自己中心的だと思うかどうかはその人の価値観によるでしょう。

なお、ぼくはいわゆるチャリティー(donation)には積極的なほうですが、その立場から。あれは宗教団体へのお布施・寄進とは違います。むろん打算・計算はありますが、インセンティブの半分以上は自発的なものです。見返りは期待しません。差し上げるんですから。


> アメリカはどうでしょう。
> 高負担・高福祉が北欧型と言われるのに対し、低負担・低福祉はアメリカ型
>だといわれます。
>
> はたして優先座席を、不要だから作らなかったんでしょうか?
> 「なくて当たり前」、「ハンディキャップを持つ人は不便をして当たり前」、
>「平等にして当たり前」などと考えていても、作られないでしょうね。
> 僕はむしろ、後者のほうなんじゃないかと思うんですけど。


箱モノのバジェットも大事ですが、それを生かすも殺すもソフト次第。つまりは「仏作って魂入れず」の悲劇を避けられるかどうかでしょう。福祉しかり、軍事しかり、景気対策しかり。

結果として、そのソフト面で日本は劣っているということ。その象徴的な一例として、電車・バス・デパート・歩道などの公共スペースにおいて身体障害者や老人が感じる快適さが違うという事実を述べたのです。


> そういうことを考えると、この優先座席という制度は、むしろ諸外国に胸を
>張って言える制度なんじゃないか、なんて思ったりしますよ。


さしずめ「公衆道徳が発達しているから不要である」というのが諸外国(一部に例外あり)の見解でしょう。もしその逆も真なりだとすれば(事実、ある程度まで真なのでしょう)、実にミジメで恥ずかしいことだと感じる人が少なくないはずなのです。日本に住んでいる人たちがそう思うようであって欲しいと願っています。だから民族の恥であると書きました。


 
  
  
  
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  [517] Re(2):「シルバーシート」は国の恥-言われてみるとそうですな
  
        
  
> 社会で生きるものとしての規範やモラルを教える必要があります。
> これには、欧米の場合、「日曜学校(教会)」というすばらしいものがあるんです。
> 日本の場合、これがない。
> どうするべきか?


些細な風邪でいちいち薬を処方していたら、人間が本来持つ優れた治癒力が損なわれますよね?同様に、徒に血税を費やしてつまらぬ箱モノを作りすぎた結果、日本人が持つ優れた資質やマインドが損なわれ、自浄能力や弾力性が失われてしまったのではないか?というのがぼくの問題提起です。

風邪をひいたら熱が出るのは当然で、気にすることはない。消化の良いものを食べて休みなさい。そのうち治ります。というご託宣もたまにはアリではないか?と。

最初の一定期間、「良心を信じてシルバーシートを(とりあえず一部)廃止した。困っている人には席を譲り、車内を暖かいものにしよう」と告知してみてはどうでしょう。正直厳しいかなー?という地域もあるのでしょうが、対応できる地域が多いように思う。もしもダメだったら?そりゃもう、そういうレベルに落ちたと思って諦め、シルバーシートを復活させたらいい。ぼくは必ずや今よりベターになると思いますが。

モラル・マナーは躾や育ちが出るので、物心がついてしまった人に他人がとやかく言ってもtoo late。ミニマムなところは社会の空気でカバーするしかないと思う。それを備えたコアになる人材層が必要ですが、ぼくの見たところ、日本にはそれがあると思います。ここに出入りしている人たちもそうでしょうし、我こそはコミュニティー・家庭・勤務先を(実質的に)支えていると自覚・自負している人々は少なからずいると思うので、その人たちの誇りに訴えかけてみる。

ダメな一握りの人たちに権利を主張させて社会主義的な庇護を与える非効率は、良識ある中流層をメインストリートに呼び戻して助け合うことで十分にカバーできるだろう、と。また、自由を守ることは大変なのだというフレーズを実感できる又とないチャンスですよ。これは。

成功させるための前提条件。だれもが衣食足りて礼節を知るのだから、どんな仕事をでっち上げててでも、社会として石にかじりついて完全雇用を目指すこと。とりわけ若年層の失業対策は、出世払いをしてもらう心積もりで大胆に施すべきだと思います。日本にはビジネスのオポチュニティーが沢山あると思う。政治がトップ・プライオリティーに位置づけるべきは雇用対策。景気回復やデフレの解消は日本の七難をかくすと思います。
 
  
  
  
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  [518] Re(3):「シルバーシート」は国の誇り論
  
        
  
>「情けは人のためならず」という諺がある。

>これは、かつて中学あるいは高校の入試の頻出語句だった(はず)。他人に情けをかけてもその人のためにはならない、という解釈をすると×になります。

 けどそれは、けっして宗教上のものでもなければ、強制的・半強制的に
行われているものではないでしょう?
 日本社会の価値規範でいうと、他人に情けをかけなくても、罰せられる
ことはありません。キリスト教規範では情けをかけなかったら罰せられる
のに。
 それが文化の違いであるわけです。


>ぼくは、人間の叡智が洋の東西を隔ててそれほど違うとは思わない。日本にだって、極楽浄土に行きたい一心で精進している人がいるかもしれないですし。もっとも、そのエッセンスを自己中心的だと思うかどうかはその人の価値観によるでしょう。

 日本人は無宗教的ですからね〜。
 まぁ実際は、日本人は自分自身で自分の宗教的行為を宗教的であると理
解している人が少ないですから難しいんですけど(^^;。

 すくなくとも、はたしてどれだけの人が日々「極楽浄土に行くために」
という理由で、善いことをしているでしょうか。
 ほとんどの人がしていないんじゃないですか?(^^;


>なお、ぼくはいわゆるチャリティー(donation)には積極的なほうですが、その立場から。あれは宗教団体へのお布施・寄進とは違います。むろん打算・計算はありますが、インセンティブの半分以上は自発的なものです。見返りは期待しません。差し上げるんですから。

 本来の意味のチャリティーと慈善は本来違いますよ?
 チャリティーは本来宗教上の理由によるものです。
 対して慈善は、感情的なものです。
 似ているので日本ではすっかり混同されちゃいましたが。
 慈善であっても、チャリティーではないことは、たっっっくさんあります。

 「かわいそうだから」とか「恵をわけてあげたい」と考えて寄付を行うのは、
慈善です。対して、善いことをしなきゃ極楽浄土や天国に行けないから善いこ
とをする(その善いことのひとつが寄付。寄付先は宗教団体に限らない)という
のが、本来のチャリティーです。

 ですから、山口さんの行いは、慈善であっても、本来の意味でのチャリティー
じゃないです。


 さて、こっからが本題。


>さしずめ「公衆道徳が発達しているから不要である」というのが諸外国(一部に例外あり)の見解でしょう。もしその逆も真なりだとすれば(事実、ある程度まで真なのでしょう)、実にミジメで恥ずかしいことだと感じる人が少なくないはずなのです。日本に住んでいる人たちがそう思うようであって欲しいと願っています。だから民族の恥であると書きました。

 北欧諸国は社会福祉が発達しています。じゃぁ、北欧の人たちは公衆道徳や
福祉観念が遅れているから、ハコモノづくりを優先したんでしょうか?

 答えは「否」ですよね。

 「ハコモノが発達しているのは公衆道徳や福祉観念が遅れているからだ」と
考えるのは、あまりにも短絡的発想です。
 公衆道徳や福祉観念が発達していなければ、ハコモノがつくられることはな
いんです。

 そういう社会的背景を考察すると、決して日本はソフト面が劣っているとは
僕は思えないんですけどもね。
 福祉を必要と感じなければ、誰も行動を起こしません。そういう意味では、
僕は日本は福祉先進国の部類に入ると思います。


 蛇足ですが、もっとも最近では、「日本人に福祉感覚がようやく根付いてき
たので、もう優先座席はいらないんじゃないか」という議論も、社会福祉学で
は出ているそうですが。(現に阪急電鉄は優先座席を廃止しました)
 しかし、その廃止論はそれは「日本の恥だから廃止」には結びつきませんね。
むしろ「誇らしい廃止」でしょう。
 
  
  
  
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  [519] Re(3):「シルバーシート」は国の恥-言われてみるとそうですな
  
        
  
うーん、餓鬼を連れたおばちゃんが子供を堂々と座らせているとこが‥
わたしゃ、子供は教育のためにも立たせておいた方がいいと思う。
あと、ラッシュ時間帯は子供|老人は利用しないほうがいいと思う。
もともとあの殺人的な状態があること自体が悪いのだが、その状態に
わざわざ飛び込むもねぇ‥はぁ、私は‥私がぎっくり腰のときは席を
譲りませんが‥立派な怪我人がわざわざ税金払うため仕事に行っている
ので老人よりは優先権あるでしょ(笑)

>最初の一定期間、「良心を信じてシルバーシートを(とりあえず一部)廃止した。
>困っている人には席を譲り、車内を暖かいものにしよう」と告知してみてはどう
>でしょう。

私もああいうのは良くないと思う。
でも、病院通いのぴんぴんしている老人を見ると譲りたくないなぁ(笑)
ほんまにつらそうな人には譲りますが‥通勤電車で座席に荷物を置いて
いるおばちゃんとか‥殴りたくなりまする


>モラル・マナーは躾や育ちが出るので、物心がついてしまった人に他人が
>とやかく言ってもtoo late。

ですねぇ
でも、最近の場合はまわりに白い目すら気にしないすばらしい神経の
持ち主がいるから
 
  
  
  
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  [520] Re(4):しつけについて
  
        
  
>>モラル・マナーは躾や育ちが出るので、物心がついてしまった人に他人が
>>とやかく言ってもtoo late。
>ですねぇ
>でも、最近の場合はまわりに白い目すら気にしないすばらしい神経の
>持ち主がいるから

 それはどうでしょうか?

 よく「現代人は家庭でor学校でしつけ教育をしなくなったので、しつ
けが衰退した」と思われがちですが、それをちゃんと調査すると、実は
そうではないんだそうです。ほんの一握りの上流階層出身者はともかく、
庶民階層では家庭や学校ではしつけ教育は昔っから行われてなかったん
だそうです。
(広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』講談社現代新書、1999)

 じゃぁ、誰がしつけたんでしょうか?

 「子供は親の鏡」や「親の背を見て子は育つ」というように、子供と
いうのは、むしろ周囲の環境からしつけを自然に学びとってゆく、と言
えるのではないでしょうか。


 自分が子供だったとして、親や周囲が厳しくあーだこーだ言うのに、
その言う本人がだらしなかったら、しらけますよね。従いたくなくなる
じゃないですか。反抗したり、無視したりしたくなるでしょう?

 みなさんは子供の頃、カッコ悪いことをする大人や、だらしない大人
たちを見て、「自分はこんなふうになるまい」と思ったことはありませ
んか?
 あるいは逆に、いいことをする大人を見て(あるいは偉人伝などを読
んで)、大きくなったら自分もその人のようにいいことをしよう、なん
て思ったことはありませんか?


 そうなんです。大人がちゃんとすれば、子供はそれを学びとっていく
ものなんです。大人がちゃんとすれば自然と子供はしつけられます。

 つまり、子供をしつけるには、まずは大人がちゃんとしなきゃダメっ
てことです。
 
  
  
  
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  [522] では、脱線しましょう
  
        
  
> けどそれは、けっして宗教上のものでもなければ、強制的・半強制的に
>行われているものではないでしょう?
> 日本社会の価値規範でいうと、他人に情けをかけなくても、罰せられる
>ことはありません。キリスト教規範では情けをかけなかったら罰せられる
>のに。
> それが文化の違いであるわけです。


そう。こちらが罪の文化なら、そちらは恥の文化。

以下やや独善的と感じる方もおられるかとは思いますが、補足&脱線として、ぼくのファクトに基づくビューを書きたいと思います。


> 日本人は無宗教的ですからね〜。
> まぁ実際は、日本人は自分自身で自分の宗教的行為を宗教的であると理
>解している人が少ないですから難しいんですけど(^^;。


卑下するに及ばず。これが一朝一夕に得がたい素晴らしい資質であると同時に、日本人の唯一ともいえる(対外的な)competitive edgeであるという事実も、国内にいると見えづらいところです。

ただこの点に限っていえば、ここ10年間の苦しみを経て日本の保守層は明らかに気づいている。日本の躍進は「あ・うん」で通じる柔軟性を伴った一体感にあったと自覚するがゆえに、歴史の針を元に戻そうと躍起になっているように見えるのですが・・・(永田町についても、そう思いたい)。残念ながら、時代の流れは貧富の差が拡大して人心がバラバラになる方向。ぼくのguessですが、永田町がどんな法案を通そうとニッポンの“自由”は守られますよ。ご安心あれ。旧ソ連が共産体制の崩壊を食い止められなかったように、「時」が味方しているトレンドに対して人間は無力です。

ぼくが外野から実に皮肉なことだと思っていることは、(勝者と敗者が存在する)自由な社会に進みつつあるなか、勝者になれそうな人ほど「日本人としての一体感が失われる」とあれこれ憂慮する一方、敗者になりそうな人ほど「自由を守れ」の一点張りで自由を支持しているように見えること。このBBSに自由推進派が多いことは承知していますが、各位が最終的にどこにグルーピングされるかはともかく、知人をざっと思い浮かべると大勢はそんな勢力図になる。

勝者予備軍がさらなる自由と規制緩和を、敗者予備軍がさらなる平等と規制を求めるなら実にアメリカ的でよくわかるのですが、現実には、多くの方がご自身のメリットを極小化しデメリットを極大化する非合理的な主張を熱心にしているようにみえる。ぼくは、前者が一体感の喪失を心配する真意はよくわかる。彼らは、もしも100人に完全なる自由を与えたら、2人が金持ちになり、10余人が現状維持し、80余人が(中進国級の)貧困層に転落することを見抜いていると思うので。苦しいとか、つらいとか、そんなエモーショナルな次元じゃないと思う。生活がかかってますよ。勝者予備軍が個人的なデメリットを省みずに一体感を求めようとするのはなぜか?月並みな表現ですが、家族を思うような愛国心があるからだと思う。

そういう(アメリカ的にいって)奇特な考えの持ち主が未だに存在しているところに、日本という国の懐の深さと強さ、そして先進国としてのメンボクがあるように思います。ぼくは日本復活の萌芽をそこに見出している。
 
  
  
  
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  [523] Re(1):では、脱線しましょう
  
        
  
 あなた個人の感性にとやかく言うつもりはありませんので、あえて反論はしませ
んけど、ちょっとだけ疑問点があるので質問させて下さい。


>ぼくのguessですが、永田町がどんな法案を通そうとニッポンの“自由”は守られますよ。ご安心あれ。

 何を根拠に、そうおっしゃるのでしょうか?
 それと、誰に対する”自由”なのでしょうか?

 全体社会や国家としてのニッポンの”自由”は、たとえばメディア規制法案や
有事法制ではより拡充されるでしょうけれども、一個人にとってはそれらは自由
の規制ですよ。ひとくちに自由といっても、さまざまな自由があるわけです。そ
してその自由は、あらゆるところで対立するわけです。どこかで線引き、バラン
ス取りをしなくちゃいけないわけです。

 まぁそれのバランス取りが政治家の仕事なわけなんですが。。。
 そういう感覚で政治家をやってる人って、少なそうだしなぁ。反対派の城山三
郎さんのことをを「ボケてる」とかって中傷するヤツがおるぐらいやし。


 で、どんな根拠で、誰に対する、どんな自由は守られるとお思いなのですか?


 もうひとつ。

>ぼくが外野から実に皮肉なことだと思っていることは、(勝者と敗者が存在する)自由な社会に進みつつあるなか、勝者になれそうな人ほど「日本人としての一体感が失われる」とあれこれ憂慮する一方、敗者になりそうな人ほど「自由を守れ」の一点張りで自由を支持しているように見えること。このBBSに自由推進派が多いことは承知していますが、各位が最終的にどこにグルーピングされるかはともかく、知人をざっと思い浮かべると大勢はそんな勢力図になる。

 何の勝者、何の敗者なのでしょうか。
 財産を持つ者と持たざる者?
 権力を持つ者と持たざる者?
 幸せな人と不幸な人?

 いづれにせよ、なんとも曖昧なカテゴライズだと思うんですけど。


 そして最後にひとつ。


>勝者予備軍がさらなる自由と規制緩和を、敗者予備軍がさらなる平等と規制を求める

 あれ?敗者が自由を求め、自由を支持しているんじゃないんですか?(汗)
 上と正反対ですよ。
 
  
  
  
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  [524] Re(2):では、脱線しましょう
  
        
  
ここにおられる方々がイメージされている自由は、欧米直輸入型の自由ではないかと思っています。ご指摘のように自由といってもいろいろあるので、複数の「自由」を英語にトレースして、そのニュアンスの違いを明らかにしたいと思います。教養豊かな方々が多いと思われるBBSなので、「そんなこと知ってるよ!」と言われそうでヒヤヒヤですが、そう思われた場合には平にご容赦のほどお願いします。


>>ぼくのguessですが、永田町がどんな法案を通そうとニッポンの“自由”は守られますよ。ご安心あれ。
>
> 何を根拠に、そうおっしゃるのでしょうか?
> それと、誰に対する”自由”なのでしょうか?


この文脈における自由とは「laissez-faire」。ニュアンスとしては(多少オーバーにいえば)自由放任=望む人が望むだけの自由を得られる世界=何でもアリ=無政府状態。


> 全体社会や国家としてのニッポンの”自由”は、たとえばメディア規制法案や
>有事法制ではより拡充されるでしょうけれども、一個人にとってはそれらは自由
>の規制ですよ。ひとくちに自由といっても、さまざまな自由があるわけです。そ
>してその自由は、あらゆるところで対立するわけです。どこかで線引き、バラン
>ス取りをしなくちゃいけないわけです。


ご趣旨は100%賛成です。ぼくもそれに近いことを言わんとしたつもりでした。

ぼくの大局的なビューをいえば、ちーさんが願っているのと(おそらくは)反対方向。つまり日本型の社会主義・共産主義は(ぼくは日本を定性的に民主主義・資本主義体制とは思ってません)10年前の旧ソ連の共産帝国のように滅びんとしている、というものです。事実、日本政府のパワー・求心力は明らかに落ちている。動かしがたい一つの証左が、強い政府のレゾン・ディーテルともいえる権限であり、かつ旧ソ連やアルゼンチンが喪失した権限でもある徴税権の低下(富裕層の某所への資産移転=限りなくクロに近い節税)。富の大半は限られた人が持っています。上澄みが逃げたら、所得再配分もヘチマもない。マシーンとしての政府の機能は急低下します。ぼくが思うに、永田町の焦りの本質的なところは(内政的には)そこらへんにあると思う。もっといえば、間違っても(失礼ながら人畜無害な)ちーさんが望む「自由」を剥奪する方向性ではないと思う。案外敵だと思っていて、実は味方かもしれない。いまの日本政府がやろうとしていることは、15年前の旧ソ連で有事法制・メディア規制を行う所業近いのではないか?というのがぼくのビューなのです。ナイアガラの滝は一本の杭では止まらない。大勢はlaissez-faireの方向。

抜き身のエゴが出たときに人々はいかにして救われるだろうか・・・と思ったとき、シルバーシートを外せるようなマインドが必要になるのではなかろうか?と。シルバーシートがおかしいと思ったのは直感的なフィーリングですが、あえて深層心理をほじくりリクツをつけるなら、そんな説明づけもできる感じ。


>>ぼくが外野から実に皮肉なことだと思っていることは、(勝者と敗者が存在する)自由な社会に進みつつあるなか、勝者になれそうな人ほど「日本人としての一体感が失われる」とあれこれ憂慮する一方、敗者になりそうな人ほど「自由を守れ」の一点張りで自由を支持しているように見えること。このBBSに自由推進派が多いことは承知していますが、各位が最終的にどこにグルーピングされるかはともかく、知人をざっと思い浮かべると大勢はそんな勢力図になる。
>
> 何の勝者、何の敗者なのでしょうか。
> 財産を持つ者と持たざる者?
> 権力を持つ者と持たざる者?
> 幸せな人と不幸な人?


自分の境遇を幸せだと思うかどうかは高度に主観的なことでしょう。そこを埋めるためにも、シルバーシートをなくして温かいハートで埋め合わせるべきではないか、と。国運が右肩上がりになることは考えられないので、なにか埋め合わせるものがないと、ヒトが日本には住めなくなると思う。それはともかく、俗物たるぼくが勝者・敗者を語る以上、サブジェクトはmeasurableなことで、具体的には収入・資産・ステイタスの3つです。

ごくごく個人的なことですが、以前に高校の同級会に出て心底驚いたのが、同じ高校で学んだクラスメートの20年後の年収格差は10倍以上、資産格差で100倍以上だと容易に推定できてしまったこと。同じような格差は肩書き・ステイタスにもある。官民の大組織を動かすポストへの梯子を粛々と登っている人と、登れなかった人と、登らなかった人がいて、前者は雇用の心配を全くせず、後者は不確実要因を胸に秘めている。母校は典型的な受験校でしたが、ここに小学校のクラスメートを加えたらどうなるでしょうか。正規分布により近くなると思う。

いかに人生山あり谷ありとて、よほどのヘマをやらない限り(or死なない限り)、この年にして早くも突出した数名が、アドバンテージを持つ分野で追いつかれることは先ずないだろうと思われました。laissez-faireを所与の条件として、この先どうなるかを考えてみると、雪ダルマを雪山の山頂から転がすようなものかもしれない。大きいダルマはさらに巨大化して麓に達し、小さいダルマの大部分が中腹のどこかで埋没する。自由(laissez-faire)な社会の現役としての現場意見としていえば、自由を突き詰めた世界の果てはそれに近いものがあると思う。

ぼくだって、そんなあり方が正しいとは全く思わないし、日本人のバランス感覚は社会の荒廃を食い止めるに違いないと固く信じています。でも、いまのトレンドが続け、間違いなくそういうバイアスがかかりながらそういう方向に進むと思う。これはぼくの予測。現にぼくの同級生でそれほどの差がついているんです。

魯迅が書いた「故郷」の現代日本バージョンですよ。ホントに。


>>勝者予備軍がさらなる自由と規制緩和を、敗者予備軍がさらなる平等と規制を求める
>
> あれ?敗者が自由を求め、自由を支持しているんじゃないんですか?(汗)
> 上と正反対ですよ。


ぼくの観察では、日本においては、敗者予備軍が自由を求め勝者予備軍が平等を求めている。アメリカは上で引用されている通り(日本とは対照的に)勝者予備軍が自由を求め敗者予備軍が平等を求めている。アメリカ的な要求は個人の利益に沿っており、日本的な要求は個人の利益に反している。

・・・という趣旨のことを書いたつもりです。日米比較をしただけで、矛盾はしていないと思うのですが・・・。

政治の世界で「自由」というばあい、大きく2通りの概念(freedom&liberty)があると思いますが、この対照的な2つの概念が日本語ではともに自由と翻訳されてしまうため、その場の雰囲気で都合の良い方を選択する(日本的な)ムシの良さがあり、混同があり、二兎を追って一兎も得ないのではないか、というのがぼくの観察です。日本語で「自由」という場合、そのコンテンツを確かめないとその人の真意を見誤ると思う。経験上、ぼくに限っては、この種のミスコミュニケーションが実に多いのです。

「勝者予備軍がさらなる自由と規制緩和を、敗者予備軍がさらなる平等と規制を求める」

この文脈(↑)における自由はfreedom。自由=政府を信じない=小さな政府=減税を通じて強者に還元=米国共和党的概念としての自由=機会均等

一方で同様に平等はliberty(リベラル・・・ですよ)。平等=政府を信じる=大きな政府=公的支出で弱者に還元=米国民主党的概念としての自由=結果平等。
 
  
  
  
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  [526] Re(5):しつけについて
  
        
  
> よく「現代人は家庭でor学校でしつけ教育をしなくなったので、しつ
>けが衰退した」と思われがちですが、それをちゃんと調査すると、実は
>そうではないんだそうです。ほんの一握りの上流階層出身者はともかく、
>庶民階層では家庭や学校ではしつけ教育は昔っから行われてなかったん
>だそうです。
>(広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』講談社現代新書、1999)

ま、そういう本もあるでしょうね。

> 「子供は親の鏡」や「親の背を見て子は育つ」というように、子供と
>いうのは、むしろ周囲の環境からしつけを自然に学びとってゆく、と言
>えるのではないでしょうか。

ま、どうなのかな?
その前は知らないが明治の世になってそうでもないと私は思ってますが
 
  
  
  
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  [529] Re(1):では、脱線しましょう
  
        
  
 勝者予備軍が規制と平等を求め、敗者予備軍が自由と規制緩和を求める。
 言われて見れば、たしかに逆転してるようにみえますね。

 この現象は、日本の社会・経済システムが共産主義に近いからだ、と考えると説明可能ではないでしょうか。勝者を決めるルールそのものが自由競争に基づいていないため、そのシステムの中での勝者は規制と平等を唱えてルールを変えたがらず、敗者はルールの変更を求めて自由と規制緩和を求める。

 「奇特な勝者予備軍」の存在を私も信じたいのですが、おそらく、その周囲には、奇特じゃないけど上記の理由で規制と平等を唱える勝者予備軍がいて、下支えとなっているんじゃないかと想像してしまいます。
 一方、これまで日本にはレッセ・フェール(白川さん言うところの「むき出しの自由」)がなかったため、敗者予備軍にはそういう自由の中で敗者になった場合の惨状がピンとこない。
 そんなところでは。
 
  
  
  
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  [534] Re(3):では、脱線しましょう
  
        
  
>ぼくの大局的なビューをいえば、ちーさんが願っているのと(おそらくは)反対方向。つまり日本型の社会主義・共産主義は(ぼくは日本を定性的に民主主義・資本主義体制とは思ってません)10年前の旧ソ連の共産帝国のように滅びんとしている、というものです。

 まぁ僕も日本は社会主義国家で、その社会主義体制が滅びて欲しい、とは思って
ますけどね。けど現実的には、滅びないだろうなぁとも思いますけど。


>もっといえば、間違っても(失礼ながら人畜無害な)ちーさんが望む「自由」を剥奪する方向性ではないと思う。案外敵だと思っていて、実は味方かもしれない。いまの日本政府がやろうとしていることは、15年前の旧ソ連で有事法制・メディア規制を行う所業近いのではないか?というのがぼくのビューなのです。ナイアガラの滝は一本の杭では止まらない。大勢はlaissez-faireの方向。

 僕は、常識を信じている人にとっては、有害だっせ(笑)。
 非常識なことを堂々と言うから。脱常識してるから。
 まぁそれはおいといて。

 僕はそういう「破滅的方向」(すくなくとも僕にはそう感じます)へのシフトは、
望まないです。
 有事法制やメディア規制法案で自由を放棄する代償は、僕はもっともっと大きな
もの、取り返しの付かないぐらいのものになってしまうと思っています。


>・・・という趣旨のことを書いたつもりです。日米比較をしただけで、矛盾はしていないと思うのですが・・・。

 すんません、このへん、間違えて解釈してました(^^;。
 まったく僕の単純ミスです。お許しくださいませ。
 ああ、アホまるだしですわ。


>政治の世界で「自由」というばあい、大きく2通りの概念(freedom&liberty)があると思いますが、この対照的な2つの概念が日本語ではともに自由と翻訳されてしまうため、その場の雰囲気で都合の良い方を選択する(日本的な)ムシの良さがあり、混同があり、二兎を追って一兎も得ないのではないか、というのがぼくの観察です。日本語で「自由」という場合、そのコンテンツを確かめないとその人の真意を見誤ると思う。経験上、ぼくに限っては、この種のミスコミュニケーションが実に多いのです。
>「勝者予備軍がさらなる自由と規制緩和を、敗者予備軍がさらなる平等と規制を求める」
>この文脈(↑)における自由はfreedom。自由=政府を信じない=小さな政府=減税を通じて強者に還元=米国共和党的概念としての自由=機会均等。
>一方で同様に平等はliberty(リベラル・・・ですよ)。平等=政府を信じる=大きな政府=公的支出で弱者に還元=米国民主党的概念としての自由=結果平等。

 たしかに。
 でも、日本人って(外国でもそうかも知れませんが、とりあえず日本国内でいう
と)、平等平等って言ってますけど、何の平等かがハッキリしてませんよね。機会の
平等か、結果の平等か、環境の平等か。平等、公平、公正、意味は全部違うのに、
同じように扱ってしまっていますね。
 
  
  
  
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  [535] Re(4):では、脱線しましょう
  
        
  
> まぁ僕も日本は社会主義国家で、その社会主義体制が滅びて欲しい、とは思って
>ますけどね。けど現実的には、滅びないだろうなぁとも思いますけど。

わたしゃ、生々しい競争というのはちといやだけど、悪平等というのは
もっといややね。うーん、適度なセーフティネットがある競争社会という
のが理想だけど

> 僕は、常識を信じている人にとっては、有害だっせ(笑)。

上に同じ

> 僕はそういう「破滅的方向」(すくなくとも僕にはそう感じます)へのシフトは、
>望まないです。
> 有事法制やメディア規制法案で自由を放棄する代償は、僕はもっともっと大きな
>もの、取り返しの付かないぐらいのものになってしまうと思っています。

上に同じ
うーん、日本の場合はやり直しの効かない変な社会なわけですよね。
そこらへんを直すだけで硬直化がおさまって少しはマシな似ると思うけど


> でも、日本人って(外国でもそうかも知れませんが、とりあえず日本国内でいう
>と)、平等平等って言ってますけど、何の平等かがハッキリしてませんよね。機会の
>平等か、結果の平等か、環境の平等か。平等、公平、公正、意味は全部違うのに、
>同じように扱ってしまっていますね。

だから、悪平等(笑)
機会の平等は絶対的に保証すべきだが、結果の平等は保証したらおしまい。
日本の場合は機会の平等は無いが、結果の平等を求める‥おかしいですわ。
 
  
  
  
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  [536] Re(5):では、脱線しましょうー話はちがうが
  
        
  
 うーむ、マスコミの節度の無さこそが、「個人情報保護法」のような極端と言えそうなものの動きがあるわけで........
 自分の権利行使の無節操や、被害者をさらに痛めつける報道攻撃は、アフガニスタンの大地に展開して欲しい。

 憲法の理念は崇高なのだが、マスコミのやっていることの大きな一部は精神的下劣を表しているところがあり、今後の改善が無い限り、本質的にこういう動きは収まりませんね。
 
  
  
  
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  [537] Re(6):では、脱線しましょうー話はちがうが
  
        
  
 報道被害に対する報道側の努力を、小泉首相はアッサリと「してないね」と断じ
ましたが、BROに関係する方々はそれをどのような気持ちで聞いてらしたのでし
ょうか。
http://www.bro.gr.jp/
 とゆーか、コイズミさんはBROを知らんねんやろうなぁ。


> うーむ、マスコミの節度の無さこそが、「個人情報保護法」のような極端と言えそうなものの動きがあるわけで........

 僕は、「マスコミの節度の無さ」を理由にムチャをする「政治家の節度の無さ」
のほうが罪は重いと思います。

 メディア規制法が施行されると、たとえば疑惑報道なんかは、報道前に本人の了
解を得なきゃならないわけです。「この疑惑を報道していいですか?」って。んな
もん、自分の疑惑報道を自分でゴーサインだす人なんていません。いたら、よっぽ
どの作戦を持った策士か、ただのアホかのどちらかです。

 この法律がすでにあったとしたら、外務省のいわゆるムネオハウス疑惑も、ある
いは裏金疑惑も、ヤマタク愛人問題も、秘書給与疑惑も、全部闇の中だったでしょ
うなぁ。だって疑惑報道なんて事実上できないもん。報道したら了解を取ってない
か無視したってことだもん。

 というように、この法律は報道を全部記者クラブ発の「大本営発表」にしてしま
う、そんな法律ですよ。
 報道の自由は、この法律によって間違いなく、死にます。


> 憲法の理念は崇高なのだが、マスコミのやっていることの大きな一部は精神的下劣を表しているところがあり、今後の改善が無い限り、本質的にこういう動きは収まりませんね。

 マスコミは本来下劣なものです。
 「社会悪を暴く」というマス・コミの使命は、下劣だからこそできるんです。高
尚ぶっててはできません。
 実際、朝日新聞や読売新聞より噂の眞相や週刊誌のほうが、ジャーナリズムとし
てはマトモな仕事をしてますよ。


 例を出してみましょう。
 交通事故にあってしまいました。なぜ交通事故に遭ってしまったのでしょうか。
それは車が世の中にあるのがいけないのでしょうか?あるいは、車が自由に道を往
けるからいけないのか?
 というと、違いますよね、ノーですよね。運転者の運転ミスや無謀さがいけない
んですよね。
 じゃ、その「交通」を「報道」に置き換えてみましょう。
 報道被害に遭ってしまいました。なぜ報道被害に遭ってしまったでしょうか?報
道取材が世の中にあるからいけないでしょうか?あるいは、報道の自由があるのが
いけないのか?
 じゃぁ報道の自由を法律で禁止すべきなのでしょうか?。。。。

 みなさんのご意見は、いかがですか?
 
  
  
  
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  [538] Re(7):では、脱線しましょうー話はちがうが
  
        
  
> この法律がすでにあったとしたら、外務省のいわゆるムネオハウス疑惑も、ある
>いは裏金疑惑も、ヤマタク愛人問題も、秘書給与疑惑も、全部闇の中だったでしょ
>うなぁ。だって疑惑報道なんて事実上できないもん。報道したら了解を取ってない
>か無視したってことだもん。
>
> というように、この法律は報道を全部記者クラブ発の「大本営発表」にしてしま
>う、そんな法律ですよ。
> 報道の自由は、この法律によって間違いなく、死にます。


報道リベラルと人権リベラルの論争はこちらでも実に盛んですが、ぼくは個人としては、どちらかといえば5628さんの意見に一票なのです。

スポンサーの睨みが効く分野のメディア報道は現に大本営発表以外のなにものでもないし、小耳にはさんでいるある種の癒着ぶりを思うと、とてもではないですが、報道の自由を語れる身分じゃないはずなので。もちろんメディアのいわんとすることは理解しますが、いってることとやってることが違いすぎるでしょ?と。

実際にどんな分野で報道の自由が行使されてきたかといえば、政治生命が終りつつある政治家、もはや潜在的スポンサーになりえない財界人、終始人畜無害の一般市民など、自社の経営に影響しない弱小個人をターゲットに、安直な取材で魔女狩りをやって、池に落ちたイヌをこれでもかと叩いてきたのが実情ではないかと思います。
その報道で何がもたらされたのか?一罰百戒の効果は期待できたかもしれないし、世論のガス抜きくらいはできたかもしれない。でも、公衆道徳上マイナスの影響もあるだろうし、視聴者のモラルハザードも進むだろうし、そもそも検察・警察・司法がしっかりすればメディアがしゃしゃり出なくても事足りることが多いとも思うし。その種の報道の自由が多少の制約を受けても、わが国の言論の自由およびメディア企業経営の大勢には影響しないと考えています。

それよりも、対ソ外交をきちんとフォローしていたら族議員がムネオハウスなどを建てようなどと思わなかったかもしれないし、政治家と秘書のあり方をきちんとフォローしていたら秘書疑惑のような議員の大多数に関わる問題をもっと早めに建設的に矯正できたかもしれないし、対中外交をもっときちんとフォローしていたら現地の領事館にカツを入れることができたかもしれないし、不良債権問題をもっときちんとフォローしていたらデフレを多少は食い止めることができたかもしれない。取材力や分析力がいま以上に求められるところですが、優秀な大卒を集めて大きな組織で仕事をしているんだから、そういう部分の報道、というかもう少し建設的なコンテンツを期待したいですね。

不祥事を未然に防ぎ怪しい権力にカツを入れる活動がジャーナリズム、事件が起きてしまったらそれを速やかに捜査して捕まえるのが検察・警察という棲み分けがベストではないか?と思うのですが。
 
  
  
  
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  [540] Re(7):適切にやれないからこうなる
  
        
  
> この法律がすでにあったとしたら、外務省のいわゆるムネオハウス疑惑も、ある
>いは裏金疑惑も、ヤマタク愛人問題も、秘書給与疑惑も、全部闇の中だったでしょ
>うなぁ。だって疑惑報道なんて事実上できないもん。報道したら了解を取ってない
>か無視したってことだもん。
>
> というように、この法律は報道を全部記者クラブ発の「大本営発表」にしてしま
>う、そんな法律ですよ。
> 報道の自由は、この法律によって間違いなく、死にます。

 死んだら困るけど、今のうちに「きつい目」に遭うべきですな。
 スポンサーの意向ばかり見て、犯罪の犠牲者の遺族を痛めつけ、誤った知識を普及させている一部マスコミは、自らの存在意義について考え直して欲しいもんですわ。
 ムネオハウスになる前に、問題提起してくれりゃいいわけですわ。
 正直言うと、「腐った話」ばっかでんがな。
 日本ーロシアー米国のISTCでの国際協力による、科学技術研究開発を書いてくれるほうが、よほど世界の利益になりますわ。こっちは、「明るい話」が多いですからな。
 
> マスコミは本来下劣なものです。
> 「社会悪を暴く」というマス・コミの使命は、下劣だからこそできるんです。高
>尚ぶっててはできません。

 いいや。
 もう、国民国家となった以上、国民レベルを上げるための役目があるのに、その面はなぜか衰退しています。
 
> 実際、朝日新聞や読売新聞より噂の眞相や週刊誌のほうが、ジャーナリズムとし
>てはマトモな仕事をしてますよ。

 うーむ。
 テレビの「ジム・レーラー・アワー」くらいの報道をしてほしい。
 週刊誌は、サンデー毎*なんかは、オプションを知らずに「オプションは怖い」などと書いておったりします。
 だいたい、小泉内閣ができるまえから、白川サイトで「むねおちゃんを何とかしないと、自民党は大変なことになる」と言っておりましたが、こないなことは週刊誌はほとんどいうてませんがな。当時において。
 
> 例を出してみましょう。
> 交通事故にあってしまいました。なぜ交通事故に遭ってしまったのでしょうか。
>それは車が世の中にあるのがいけないのでしょうか?あるいは、車が自由に道を往
>けるからいけないのか?
> というと、違いますよね、ノーですよね。運転者の運転ミスや無謀さがいけない
>んですよね。

 そうですよ。
 今の状態は、こういい変えてもよろしい。
 「救命回復措置施設(BRO)があるから、車(マスコミ)はどんどん事故(権利の異常な濫用による報道被害)を起こしてもよろしい」と。
 権利の適法行使がやれないような連中は、「権利の上に眠る者」であって、そのような者に保護する価値はあるんやろうか?
 「権利の上に眠る者は保護しない」といくべきなんとちゃうやろうかいうことです。
 
> じゃ、その「交通」を「報道」に置き換えてみましょう。
> 報道被害に遭ってしまいました。なぜ報道被害に遭ってしまったでしょうか?報
>道取材が世の中にあるからいけないでしょうか?あるいは、報道の自由があるのが
>いけないのか?
> じゃぁ報道の自由を法律で禁止すべきなのでしょうか?。。。。

 権利を適法行使せず、限りなく違法に近いことばかりするのなら、国民の権利を保護するために、自分では何も出来ぬような不甲斐ない一部マスコミの暫定的な処置はすべきでしょうね。
 つまり、「**が多いから、こっちも強硬にいくことしかない」という状態にいきつく。
 
  
  
  
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  [541] Re(8):適切にやれないからこうなる
  
        
  
> 死んだら困るけど、今のうちに「きつい目」に遭うべきですな。

ちゅうか、こういうのは司法の仕事と思うのですわ。
あほなマスコミもどきについては大幅な損害賠償を認めるべきですわ。

> いいや。
> もう、国民国家となった以上、国民レベルを上げるための役目があるのに、
>その面はなぜか衰退しています。

ペンを持つものの持つべき倫理観というのが鈴虫並になってますわな。
 
> 権利を適法行使せず、限りなく違法に近いことばかりするのなら、国民の権利を
>保護するために、自分では何も出来ぬような不甲斐ない一部マスコミの暫定的な
>処置はすべきでしょうね。

ま、かなり強力な薬ですからどう使うかは非常に高度の判断が必要ですね。

> つまり、「**が多いから、こっちも強硬にいくことしかない」という状態にいきつく。

ま、吉外に刃物ちゅうことばもあるしねぇ‥
高い自立的判断が求められる職業が日本ではことごとくそうじゃないのだからなぁ
薬と毒の区別もつかないやつに使わせるとなると‥
 
  
  
  
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  [543] Re(8):適切にやれないからこうなる
  
        
  
 僕は、「マスコミの節度の無さ」を理由にムチャをする「政治家の節度

> 死んだら困るけど、今のうちに「きつい目」に遭うべきですな。
> スポンサーの意向ばかり見て、犯罪の犠牲者の遺族を痛めつけ、誤った知識を普及させている一部マスコミは、自らの存在意義について考え直して欲しいもんですわ。

 マスコミを叩く前に。
 スポンサーの意向というのは、視聴者の意向なわけです。
 つまり、クダラナイ放送をマスコミにさせているのは、視聴者で
ある私たちなんです。
 それを棚上げにして、マスコミだけを叩くのは、僕はおかしいと
思いますよ。


> ムネオハウスになる前に、問題提起してくれりゃいいわけですわ。
> 正直言うと、「腐った話」ばっかでんがな。

 そんなん、報道とちゃいまんがな(爆笑)。

 マスコミの使命のひとつは、社会悪を暴くことですわな。
 社会悪は、すなわち「腐った話」です。
 それら社会悪を暴くことで、警察や国家権力ではなくって、世論
の方向から正義を追及するんです。世の中の他の権力をチェックす
ることができるのも、マス・コミだけです。
 それがマス・コミの使命です。


 日本における大衆伝達手段としてのマス・コミの起源は、おそら
く「戦国時代の落書」でしょう。それ以来、マス・コミの報道する
内容のほとんどは「腐った話」です。それは江戸時代のかわら版も、
明治時代の大新聞、小新聞、中新聞もそう。戦時中の大本営発表で
すら『鬼畜米英の非道』の「腐った話」を報道しているのです。
 そういう歴史を無視して、マスコミは社会悪を暴く道具であるこ
とを否定なさるのには、僕は絶句してしまいます。
 小学校の学級通信やないねんから。

 マス・コミとは社会悪を暴く道具であることを無視してマスコミ
を非難するのは、「トイレは臭いから、トイレを取り壊してトイレ
のない臭くない家を造るぞ」と言ってるようにしか僕は聞こえませ
ん。

 「警察は不祥事ばかりするから、警察をなくしてしまおう」と言
う人がいますか?
 今のメディア規制法案というのは、それと同じですよ。「マス・
コミは不祥事ばかり起こすから、マス・コミをなくして(取材力を
奪って)しまおう」という論理ですよ。
 マス・コミが権力の悪をチェックしなければ、誰がチェックする
のですか?誰もチェックしなくなって、権力に悪がはびこるだけで
すよ。

 だいたい、こういう正義面をして政治家が何かを言う時は、絶対
にウラがある。誰が一番トクをするか考えてみるといいんですよ。
すぐわかるじゃないですか。本当に報道被害にあった人か、あるい
は悪いことをしているやつかのどちらかですよ、トクをするのは。
そうじゃないと、こういうことは言い出さないですよ。


 事件にならないと、というか、せめて疑惑の証拠をマス・コミ側
もつかまないと、いくらなんでも報道はできないわけですよ。刑法
230条の2に違反してしまうわけです。

『刑法第230条【名誉毀損】公然と事実を適示し、人の名誉を毀
 損した者 は、その事実の有無を問わず、3年以下の懲役、もし
 くは禁固、または50 万円以下の罰金に処する
 第230条ノ2【事実の証明】前条の行為は、公共の利害に関す
 る事実にかかり、その目的がもっぱら公益を図るに出たものと認
 められるときは、事実の真否を判断し、真実であることの証明が
 あった時はこれを罰しない』

 「ムネオハウスになる前に」とおっしゃいますけど、それをする
とそれこそ裏付けのない「噂話」をじゃんじゃん載せないといけな
い、ということになってしまう。刑法230条の2を無視しないと
載せられないです。


 ちなみに、報道が政府の監視下にあり言論の自由のない国(中国
とか北朝鮮とか)では、そのような「腐った話」の制限がなされて
いるんだそうですよ。自由に報道できないんだそうです。どんなに
ひどい社会悪が行われていても。日本も、メディア規制法案が通っ
てしまうと、そういう言論の自由のない国への仲間入りっことです
ね〜。
 
  
  
  
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  [544] Re(9):適切にやれないからこうなる
  
        
  
 あ、ゴミがはいっちゃった(^^;。
 #543の書き込み、一行目は無視して下さいな。
 スイマセン。
 
  
  
  
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  [550] Re(10):適切にやれないからこうなる
  
        
  
 そうそう。大事なことを書くのを忘れてました。


 国連規約人権委員会は、人権救済機関(委員会)を、政府とは関係
ない第三者機関として設置するよう、日本国政府に求めたんだそう
です。しかも目的は、公権力による人権侵害を救済するために。
 なのに日本国政府が人権擁護法案で定めようとしているのは、法
務省管轄の、総理大臣任命の委員による機関。
 「公権力による人権侵害を救う第三者機関」というのを「民間に
よる人権侵害を救う政府機関」にすりかえちゃったんですね。


 第七条に『人権委員会の委員長及び委員は、独立してその職権を
行う。』とありますが、しかし、はたしてどこまで独立できますや
ら?
 委員会が法務省管轄で、委員が総理大臣の任命である以上は、政
府に都合の悪い決定はしにくいでしょうなぁ。
 というか、人権委員会事務局は法務省の機関が衣替えしたにすぎ
なくて、しかも強い権限を持った、ということになりそうだそうで
す。
 つーことは、ますます独立性は疑わしいですなぁ。

 だいたい、
 『第八条 人権委員会は、委員長及び委員四人をもって組織す
る。2 委員のうち三人は、非常勤とする。』
 委員がたったの四人で、しかも三人は非常勤って、まともな仕事
ができるんかいな?という疑問が出てきますよね。


 これではたして本当に人権救済なんてできるんでしょうかね?


 あと、「人権委は報道の自由に十分配慮する」とか「報道機関に
よる自主的な解決に向けた取り組みを尊重しなければならない」と
かありますけど、配慮とか尊重って、ぜんぜん具体的じゃない。
「した」って言えばオシマイの言葉です。
 こんな文、ないのと同じです。

 こんなんではたして本当に「報道の自由」は守られるんでしょう
かね?
 
  
  
  
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  [551] criticalなcriticでismでも、適切な発展がない
  
        
  
 個人的な感想かも知れないのですが、諸種の議論やそれに関する批判の議論の応酬を見ていると、全般的に、「発展に結びつかないような議論が多すぎる」と思いますね。

 個人情報保護法の批判の多くは適切であるけど、では「今後どのような方向を志向していき、今ある問題についての解決の方法を模索する」という「発展への方向」の動きが見当たらないのには、私個人は「議論するのもあほらしい」です。
 どちらのサイドの議論も、結局は双方の怠惰や問題行動を放置するための言い訳ともとれそうなもんです。
 
 それでも私が、わざときつめに議論したのは、われわれ含めて「AとAに対する批判の議論の応酬だけで、これらの持つ問題が、うまく解決できるのだろうか?」ということについての答えが欲しかったからです。

 結論の善悪はどうあれ、それらが提示している諸問題は、今後できうる限りの満足のいく解決を要求しているもので、今後の課題です。
 上記の議論の応酬は、これらの問題を意識させなくする危険性があると思います。
 
  
  
  
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  [552] Re(1):criticalなcriticでismでも、適切な発展がない
  
        
  
いや、余りにもお見事なタイトル(題名)だったので、思わず反応したいという衝動に駆られました(笑)。


> 個人的な感想かも知れないのですが、諸種の議論やそれに関する批判の議論の応酬を見ていると、全般的に、「発展に結びつかないような議論が多すぎる」と思いますね。


国運が傾き衝撃を吸収するバッファーがなく、そんな環境で改革をやると損になる人がやっぱり多いはずなので、、、。メディアも規制・保護産業ですし、たとえが悪いけど農業や建設業と同様、全般的なムードは「軍議は戦わず」の方向に傾くのかもしれませんね。


> それでも私が、わざときつめに議論したのは、われわれ含めて「AとAに対する批判の議論の応酬だけで、これらの持つ問題が、うまく解決できるのだろうか?」ということについての答えが欲しかったからです。


うーん。
ドライな計算が必要なビジネスマターならまだしも、それ以外のマターでそのスタイルは、文化的に日本に馴染まないと思いますよ(コンセンサスを作れない)。残念ながら。

しかし、ロール・プレイは考えうる論点をくまなく抽出し深めるのに非常に役立ちます。本質はリサーチ&アナリシスで、グランド・デザインの最適化はその次の段階の作業になると考えられる。ここで、活用できないor活用する人がいないリサーチなどナンセンスだろう・・・と言われたら、そりゃ、ちとキツイかも。そうなると硬めの政治系BBSが全滅しかねない(苦笑)。

次の段階としてのグランド・デザインを考えうる主体は(どんなに問題があろうとも)政治家・官僚以外にありえないと思うし、ミクロレベルでそれを支えるのが一般ピープルの信頼感・一体感・気配りのようなものではないかと。どちらが鶏か卵かはわからないけど、政策が民間のモラルハザードを招かぬよう留意しながら、民間がそれを有効に使うことが大事。官民一体の協調体制の重要性を痛感します。そのためには信頼関係が不可欠で、それぞれが情報開示と説明責任を果たす必要がある。

大元のスレッドで「シルバーシートは日本の恥」と書いた意図も、そういう部分にありました。どこから手をつけたらいいのやら、ぼくには見当もつきませんが、諸外国の国情を多少は知る立場から、身近なところで日本のモラルハザードを押し返す一つのキッカケになるのではないか?と。
 
  
  
  
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  [555] Re(2):criticalなcriticでismでも、適切な発展がない
  
        
  
>いや、余りにもお見事なタイトル(題名)だったので、思わず反応したいという衝動に駆られました(笑)。

 ありがとうございます。
 たまには、ちいと洒落たことをしてみたいと思ってましたので。
 
>国運が傾き衝撃を吸収するバッファーがなく、そんな環境で改革をやると損になる人がやっぱり多いはずなので、、、。メディアも規制・保護産業ですし、たとえが悪いけど農業や建設業と同様、全般的なムードは「軍議は戦わず」の方向に傾くのかもしれませんね。

 それよりも、一部主流マスコミは「*ば*」なんです。
 「**か」が一大保護産業なんでして、殺人の被害者にさんざんな取材攻勢をかけまくるとか、情熱が過ぎておかしなことを書いたりし、それが不特定多数に届く。
 そして、いざ自分が窮地になりかけたら「表現の自由」だの「報道の自由」だの言って、自らの(回避・低減可能かもしれない)権利侵害を棚に上げる。
 
 たとえば、マスコミの多くは、「同時多発テロの悲劇」時においては「毅然として立ち向かえ。武力行為も辞するな」という方向から、アメリカのアフガン爆撃から一月もすると、「武力行使反対」めいた論調になっとりました。
 第1段階で反対したら、散々な評価をされたものです。
 爆撃は、テロ支援団体撲滅戦略の1段階であって、本当はこの後こそが重要なんですが、それを「やめい」という論調になっとったりしてます。
 だから、あたしゃ初期のころから「可能な限り武力は避けるべし」と主張しとりました(ようです)が、ここまできた場合「徹底的に、根気良く撲滅するために、継続して武力行使すべし」と考えたりしております。
 マスコミの一部主流は、こういうような「お**」ですので、嫌いなんです。

>うーん。
>ドライな計算が必要なビジネスマターならまだしも、それ以外のマターでそのスタイルは、文化的に日本に馴染まないと思いますよ(コンセンサスを作れない)。残念ながら。

 ただ、「何が問題なのか」「問題をなすメカニズム・原理は何か」「原理・機構を踏まえて、対策をどのような方向性でやっていくか」というような議論の段階になってきつつありますし、そうでもしないと「対立による発展」というものがない。
 まあ、こういう状態でない場合は、「お祭り」的楽しみくらいしかないでしょうね。
 実行や対策の立案段階では、「カウボーイ・スピリッツ」が6割必要です。
 
>次の段階としてのグランド・デザインを考えうる主体は(どんなに問題があろうとも)政治家・官僚以外にありえないと思うし、ミクロレベルでそれを支えるのが一般ピープルの信頼感・一体感・気配りのようなものではないかと。どちらが鶏か卵かはわからないけど、政策が民間のモラルハザードを招かぬよう留意しながら、民間がそれを有効に使うことが大事。官民一体の協調体制の重要性を痛感します。そのためには信頼関係が不可欠で、それぞれが情報開示と説明責任を果たす必要がある。

 それを言うとすれば、「国民が雰囲気を醸成する。それを政治家・官僚が最良の形で具現化する。この相互作用に尽きる」というほうが、わかりやすいような気もします。
 多分、今回において山口さんの言いたいことは、かようなことと思うのですがいかがでしょう?
 ただ、雰囲気とは言っても、諸種概念やスキルの発展が著しいので、雰囲気自体もそれらにある程度確かなリンクのあるものが要請され、それは直ちに国民のレベルアップを要求するように思います。

>大元のスレッドで「シルバーシートは日本の恥」と書いた意図も、そういう部分にありました。どこから手をつけたらいいのやら、ぼくには見当もつきませんが、諸外国の国情を多少は知る立場から、身近なところで日本のモラルハザードを押し返す一つのキッカケになるのではないか?と。

 それで「雰囲気」が出来れば、最良でしょうね。
 
  
  
  
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  [556] Re(3):criticalなcriticでismでも、適切な発展がない
  
        
  
> それよりも、一部主流マスコミは「*ば*」なんです。

最初「大*か」と思った。

> 第1段階で反対したら、散々な評価をされたものです。

そそ
ここでも似たようなもの。

> だから、あたしゃ初期のころから「可能な限り武力は避けるべし」と主張しとり
>ました(ようです)が、ここまできた場合「徹底的に、根気良く撲滅するために、
>継続して武力行使すべし」と考えたりしております。

振り上げた拳というのは降ろすタイミングが難しいもので

> マスコミの一部主流は、こういうような「お**」ですので、嫌いなんです。

ま、それで人気取りをしなきゃ部数や視聴率がとれないんですわ。

> 実行や対策の立案段階では、「カウボーイ・スピリッツ」が6割必要です。

え、やりすぎるとやんきー大統領になります。
 
> それを言うとすれば、「国民が雰囲気を醸成する。それを政治家・官僚が最良の
>形で具現化する。この相互作用に尽きる」というほうが、わかりやすいような気
>もします。

ちゅうか、痴呆国民に国民の権利と義務に対して正しい知識をあたえなきゃ。
その30年後まで待たなきゃだめですわ。国民が自主的に勉強してくれればええんですが

> ただ、雰囲気とは言っても、諸種概念やスキルの発展が著しいので、雰囲気自体
>もそれらにある程度確かなリンクのあるものが要請され、それは直ちに国民の
>レベルアップを要求するように思います。

江戸の昔からそんなもの変わってないのですわ。
 
  
  
  
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  [557] Re(3):criticalなcriticでismでも、適切な発展がない
  
        
  
> 「**か」が一大保護産業なんでして、殺人の被害者にさんざんな取材攻勢をかけまくるとか、情熱が過ぎておかしなことを書いたりし、それが不特定多数に届く。


広告媒体たる彼らのビジネスモデルをほんの少し崩し、できれば視聴者・購読者が情報コストを広く浅く負担すれば、国会に頼らずとも状況はだいぶ改善すると思う。


> たとえば、マスコミの多くは、「同時多発テロの悲劇」時においては「毅然として立ち向かえ。武力行為も辞するな」という方向から、アメリカのアフガン爆撃から一月もすると、「武力行使反対」めいた論調になっとりました。


日本に住んでいる人々から「もうそっちはテロの心配は無いんだろう?」と言われることが実に多い。一般人というよりビジネスマンですよ。その情勢判断は明らかに間違い。三面記事的な人権も大事ですが、一面・二面や経済・国際面でのミスリードは国富喪失につながりかねませんね。


> それを言うとすれば、「国民が雰囲気を醸成する。それを政治家・官僚が最良の形で具現化する。この相互作用に尽きる」というほうが、わかりやすいような気もします。
> 多分、今回において山口さんの言いたいことは、かようなことと思うのですがいかがでしょう?
> ただ、雰囲気とは言っても、諸種概念やスキルの発展が著しいので、雰囲気自体もそれらにある程度確かなリンクのあるものが要請され、それは直ちに国民のレベルアップを要求するように思います。


一つのベンチマークとして、シルバーシートの廃止はトライするに値すると思います。旧大蔵省マターとは違うので、とりあえずやってみて、ダメなら諦めて元に戻せばいいと思う。

右肩上がりの時代ならボトムアップで最大多数の幸福を追求するすべがあったと思うのですが、時代は様変わりしています。必要なアジャストメントはトップダウンで行う以外にない。ボトムアップで世の中が変わるなら、選挙を通じてとっくに変わっている筈。現実は全く違っており、混迷の時代にボトムアップでマクロ的な突破口を見い出すこと自体が無謀だと思ってます。

ぼくは、ダメな一部分を見て対象を全否定し革命的な変革を夢見るというよりも、既存の枠組みの良い部分を生かしながらフォームすべきだという立場を取ります。右肩下がりの局面なので、なにをやるにしても(何もやらなくても)犠牲者が出ることは避けられない。先ず国を主導する人たちに私利私欲があってはならないと思う。不幸にして変化の余波を受けてしまった人々にはできる限りの保護を与え、社会的なシルバーシートへの着席を余儀なくされた人々に対しては、おざなりの庇護を与えて放置するのではなく、自力で立てる人が声をかけ手を差し伸べねばならない(人に強制するつもりはありません、為念)。

あらゆる自由を突き詰めた究極的な形の一つがアメリカ社会で、ああいう社会がベストだと思い、しかもローワーミドル以下に属しない自信がある人なら、アメリカに移住するのがベスト・ソリューションになります。アメリカの求心力は世界ナンバーワンという部分に裏打ちされた自由にある。同様に日本の求心力は、同じ日本人同士だからという部分にあると思う。それは日本固有のもので、アメリカには求め得ないものです。日本国の指導者は、日本の良さや強みを生かした国の将来像を示す義務があると思う。
 
  
  
  
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  [558] Re(4):criticalなcriticでismでも、適切な発展がない
  
        
  
 遅くなりました。
 いやあ、アメリカのテロ攻撃防衛戦は、まだはじまったばかりで、予断を許しません。チュニスのユダヤ寺院爆破もアルカイダの仕業といわれていますし.......
 テロをさせないためには、国民からの情報と国民の注意、そうした情報や通報がないといけません。
 結局、アフガン爆撃などよりも、こうした地道な努力が継続して続けられることが一番大切で、これがうまく継続的効力を発すれば、糸口が見えてくると思う。
 
>広告媒体たる彼らのビジネスモデルをほんの少し崩し、できれば視聴者・購読者が情報コストを広く浅く負担すれば、国会に頼らずとも状況はだいぶ改善すると思う。

 そうですね。
 現在の場合、広告料がメインでしょうし。
 
>日本に住んでいる人々から「もうそっちはテロの心配は無いんだろう?」と言われることが実に多い。一般人というよりビジネスマンですよ。その情勢判断は明らかに間違い。三面記事的な人権も大事ですが、一面・二面や経済・国際面でのミスリードは国富喪失につながりかねませんね。

 はあ......(;_;)
 そんなこというんですかあ。情けないですなあ。
 あのテロ事件において、あの「たんそきんの手紙をもらいかけた」せねたあのダシュル上院議員が、調査委員会をつくり、また新しいテロに対する警戒情報が出てきていると言うのに..........
 
(私が一番恐れているのは、「スーツケース核爆弾」によるテロですが、あれの放射能はα線だから、極めて探知困難で(紙で遮断できる)仕掛けられやすい。
 思うんですが、「プルトニウムを減らしていくようにしないと、この手の恐怖は減らない」と思いますね。これからは核テロが怖い。
 ユッカマウンテンの廃棄物処理計画に、thorium molten salttaransmuting&incinerate reactor proguramや、acccelater molten salt reactor programでもつくって研究して、廃棄物減らしついでに余剰核兵器も減らさないと駄目ではないかと)
 
>一つのベンチマークとして、シルバーシートの廃止はトライするに値すると思います。旧大蔵省マターとは違うので、とりあえずやってみて、ダメなら諦めて元に戻せばいいと思う。

 別に無謬性を要求するものではありませんし、問題があればその都度改善していけばいい。
 日本の場合、「国家は常に正しい」という考えのドイツ行政法の流れをひいているから、無謬性を求めすぎてtoo lateになったり、強権的になる。
 また、そういう風に国民がならされているから、「戦略を立てて実行し、その都度治せばいい」という「アメリカの考えの中で、最もbetterなイデー」に気づかない風もある。
 それは治さないといけない。

>右肩上がりの時代ならボトムアップで最大多数の幸福を追求するすべがあったと思うのですが、時代は様変わりしています。必要なアジャストメントはトップダウンで行う以外にない。ボトムアップで世の中が変わるなら、選挙を通じてとっくに変わっている筈。現実は全く違っており、混迷の時代にボトムアップでマクロ的な突破口を見い出すこと自体が無謀だと思ってます。

 そこは、一部検討すべき考えですが、だれかがフォーマットを提供できれば、技術でも科学でも何でも進展していく。
 山口さんのこの主張は、「改革者の出現が必要」という主張に類似しており、その結論は、正しいと思います。
 
>ぼくは、ダメな一部分を見て対象を全否定し革命的な変革を夢見るというよりも、既存の枠組みの良い部分を生かしながらフォームすべきだという立場を取ります。右肩下がりの局面なので、なにをやるにしても(何もやらなくても)犠牲者が出ることは避けられない。先ず国を主導する人たちに私利私欲があってはならないと思う。不幸にして変化の余波を受けてしまった人々にはできる限りの保護を与え、社会的なシルバーシートへの着席を余儀なくされた人々に対しては、おざなりの庇護を与えて放置するのではなく、自力で立てる人が声をかけ手を差し伸べねばならない(人に強制するつもりはありません、為念)。

 ここは少し考えてみたいです。
 多分、これでいいと思いますが。
 
>あらゆる自由を突き詰めた究極的な形の一つがアメリカ社会で、ああいう社会がベストだと思い、しかもローワーミドル以下に属しない自信がある人なら、アメリカに移住するのがベスト・ソリューションになります。アメリカの求心力は世界ナンバーワンという部分に裏打ちされた自由にある。同様に日本の求心力は、同じ日本人同士だからという部分にあると思う。それは日本固有のもので、アメリカには求め得ないものです。日本国の指導者は、日本の良さや強みを生かした国の将来像を示す義務があると思う。
 
  
  
  
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