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  [806] 「無理のない水のごとき政治」
  
        
  
「人民を生きるがままに放置する。これが君主たるの要諦である」。

これは森田実さんのサイト、森田実の時代を斬るの中で紹介された『老子』の政治論の根本「無理のない水のごとき政治」をわかりやすく解説したものです。

最近の政治の流れを見ていますと、官僚・与党政治家が国民を一切信用せず、むしろ国民を敵視し監視、管理監督すべき対象としか見ていない、そのような気がします。

しかし国民の側からすればそのような政府を信用せよというのがどだい無理な話であり、ここに日本の政治は国民と政府が相互に信頼し合えないという不幸な状態に次第に進んでいるのではないか、と言うのが正直な感想です。

ただ、自民党内のリベラル派が死滅に近い状態(白川さんは死滅したと断言しましたが、)の中で、住基ネットの稼動の凍結や個人情報保護法の危うさを指摘する議員がいるなど、本来の自由と民主主義を守ろうと言う議員が一部ではありますが存在することも事実です。

反対に民主党内にも自民党的体質を持ったままの議員がいることも事実であり、政治理念に基づいた政界再編の実施が待たれるところです。

政界再編の上、国家主義的全体主義思想を持つ政党とよりリベラルな思想を持つ政党とが争いあい、この国の行く末を国民に問うことがいちばんこの国にとっては良いことであろうと思います。
少なくとも構造改革を叫ぶ振りをして、その実国民の自由を奪うとともに、対米従属の政策ばかりを進める小泉内閣の欺瞞にはもう飽き飽きとしています。
 
  
  
  
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  [808] 水に関する考察−老子の時代と現代の違い−
  
        
  
こんにちは。ホームページのURL、“WallStreet-Bull”ですか・・・。

それに関連づけて語れば、お金も水のように流れますね。上流は細く清らかなものですが、下流に行くに従って太く濁った濁流となる。上流はそのまま飲めるほどにきれいな水で、そのなかでしか生きられないデリケートで美しい淡水魚が棲み、下流は飲むに耐えない太い濁流で、そこにはそんな汚れた水のなかでもしたたかに生きていける、汚いけれども強い魚が棲む。

水が高いところから低いところに流れるように、お金も流れるべくして流れるところに流れる。カネは万物を助け育てながらも自らを主張せず、だれしも嫌う低き濁流へと下る。だから『道』に似ていると言ってよい、のですね。

多少汚い水のほうが栄養が豊富で多くの魚を養うことができる・・・と思う。門外漢なのでよくわかりませんが。上流へ上っていくのは大変です。そこに到達するエネルギーは膨大で、たしかに環境はいいけれども、栄養価が少ないから沢山の魚は棲めない。

下流で栄養価が高まりすぎると濁流が濁り、やがて川底にヘドロが澱み、川面でプランクトンが大量に浮き、最後には水の流れが淀むようになる。そうなると一切の魚が棲めなくなる。ヘドロが不良債権であり、プランクトンがたとえば既得権益にぶら下がって働きに相応しない分け前に預かっている人たちであり、流れない川が金融システム危機なわけですよ。

言わんとしたことは、太古の中国の大自然をイメージした水のロジックで現代を語るには無理があるということ。思うに当時は上流も下流も綺麗な水だったのでしょう。

慎ましく平々凡々と生きることを願う人にそれを全く許さない社会は問題だと思います。しかし、ノン・パフォーミングな部分に多少しわ寄せがいっても、パフォーミングな部分が報われる仕組みは必要だと思う。あくまでもバランスの問題です。アメリカは現在、貧富の差が縮小する方向に進んでいます。日本はその逆でしょう。でも、今後のことを考えると、あくまでも程度問題ですが、日本にとって必要なアジャストメントだと思う。
 
  
  
  
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  [815] Re(1):「無理のない水のごとき政治」
  
        
  
>「人民を生きるがままに放置する。これが君主たるの要諦である」。

正論だと思います。

>これは森田実さんのサイト、森田実の時代を斬るの中で紹介された『老子』の政治論の根本「無理のない水のごとき政治」をわかりやすく解説したものです。

自然の摂理にかなったものと思います。
もちろんこの水とは清濁を超えたところに在る水のことです。
それのわからない人には何でも良いと思います。

>最近の政治の流れを見ていますと、官僚・与党政治家が国民を一切信用せず、むしろ国民を敵視し監視、管理監督すべき対象としか見ていない、そのような気がします。
>
>しかし国民の側からすればそのような政府を信用せよというのがどだい無理な話であり、ここに日本の政治は国民と政府が相互に信頼し合えないという不幸な状態に次第に進んでいるのではないか、と言うのが正直な感想です。
>
>ただ、自民党内のリベラル派が死滅に近い状態(白川さんは死滅したと断言しましたが、)の中で、住基ネットの稼動の凍結や個人情報保護法の危うさを指摘する議員がいるなど、本来の自由と民主主義を守ろうと言う議員が一部ではありますが存在することも事実です。
>
>反対に民主党内にも自民党的体質を持ったままの議員がいることも事実であり、政治理念に基づいた政界再編の実施が待たれるところです。
>
>政界再編の上、国家主義的全体主義思想を持つ政党とよりリベラルな思想を持つ政党とが争いあい、この国の行く末を国民に問うことがいちばんこの国にとっては良いことであろうと思います。
>少なくとも構造改革を叫ぶ振りをして、その実国民の自由を奪うとともに、対米従属の政策ばかりを進める小泉内閣の欺瞞にはもう飽き飽きとしています。

問題は「自民党プロブレム」(*注1)の解消を如何に進めるかです。
確かに自民党の中にも一見良心派が存在していそうです。しかし待っていたのでは半永久的に彼等は出ては来ない筈です。理由は自民党の方がはるかに居心地が良いからです。

逆に民主党側にも自民党的な人たちが居られるようです。彼等の方はひょっとして事情が許せば自民党復帰の目が出てくるかもしれません。いずれにしても自民党が有利なようであります。これもまた「自民党プロブレム」のなせる技です。

「自民党プロブレム」を解消させるには自民党を政権の座から強制的に引き摺り下ろし、なおかつその状態を少なくとも3年くらいは維持しておく必要があります。要は自民党員に政権復帰の可能性を完全に諦めさせるくらいの野党体験が自民党には必要なのであります。

そのためにどうするかであります。まず野党第1党は徹底的に自民党との差別化を図るべきであります。野党第1党・党首に期待するのは何ものにも負けない不屈の闘志を養うべきであります。そしてひとたび動き出したら暗黙のうちに他を圧倒するほどの指導力を身につけておくべきであります。さらに自らの発言にすべて責任を持つべきであります。ひ弱な闘争心では党員はついては来ないものです。そして党内闘争は徹底的に行われるべきであります。党内で各々が違う方向を見ていたのでは支持者はついてこないです。結果的に脱落者が出てきたとしても党内論議に徹底主義を求めていくべきであります。そしてひとたび党がまとまったならば、党は来たるべき総選挙において党独自の戦い方を貫きあくまでも第1党を目指すべきであります。その迫力が無い党には結果的に支持は集まらないものであります。それが今の民主党に与えられた宿命なのであります。党としてまた党首としてその自信がないのならばさっさと解党なり辞任すべきであります。

野党第2党以下も考え方は同じであります。自らの力で勝利を求めていくべきであります。各々の党においてそれぞれが最善を尽くして党内体制を整備し来たるべき総選挙の臨むべきであります。はじめに野党共闘ありきでは選挙戦以後の足並みにほつれが生じてまいります。他党に対する不必要な遠慮も発生します。政党にとって選挙とは自らの勢力拡大のための千歳一隅のチャンスであります。それに全力を注ぐことができないのならその政党の存在価値はあまりないです。

そうした戦いの中で選挙後の各政党間の力関係を推し量り自民党に対する包囲網を構築していくしか道はないと考えます。仮にいっぺんで政権奪取ができなくても彼我の力関係の差が縮まるならば、いや応もなくさらにその次の総選挙の日程が上ってくるはずです。そのなかで過去の細川連立政権の反省を活かし、あくまでも新・民主党が野党連合の要をしっかりと押さえていくことが肝要であります。

現在の野党が自らを切磋琢磨していく中でしか「自民党プロブレム」を解決していく道は無いと考えます。
ぜひ頑張ってほしいと願います。

------------------------------------------------------
*注1:自民党プロブレム
     http://www.s-yanase.com/dialy/kokkai140.htm

 
  
  
  
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  [816] Re(1):水に関する考察−老子の時代と現代の違い−
  
        
  
>慎ましく平々凡々と生きることを願う人にそれを全く許さない社会は問題だと思います。しかし、ノン・パフォーミングな部分に多少しわ寄せがいっても、パフォーミングな部分が報われる仕組みは必要だと思う。あくまでもバランスの問題です。アメリカは現在、貧富の差が縮小する方向に進んでいます。日本はその逆でしょう。でも、今後のことを考えると、あくまでも程度問題ですが、日本にとって必要なアジャストメントだと思う。

・親記事と上記のコメントがどのような関係にあるのか、よくわからないです。
・アメリカは現在、貧富の差が縮小する方向に進んでいるとのこと、本当にそう?
・日本にとって必要なアジャストメントだと思う、とは構造改革のこと?
 
  
  
  
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  [817] Re(1):水に関する考察−老子の時代と現代の違い−
  
        
  
山口さんレスをありがとうございます。

>多少汚い水のほうが栄養が豊富で多くの魚を養うことができる・・・と思う。門外漢なのでよくわかりませんが。上流へ上っていくのは大変です。そこに到達するエネルギーは膨大で、たしかに環境はいいけれども、栄養価が少ないから沢山の魚は棲めない。
>
>下流で栄養価が高まりすぎると濁流が濁り、やがて川底にヘドロが澱み、川面でプランクトンが大量に浮き、最後には水の流れが淀むようになる。そうなると一切の魚が棲めなくなる。ヘドロが不良債権であり、プランクトンがたとえば既得権益にぶら下がって働きに相応しない分け前に預かっている人たちであり、流れない川が金融システム危機なわけですよ。
>
>言わんとしたことは、太古の中国の大自然をイメージした水のロジックで現代を語るには無理があるということ。思うに当時は上流も下流も綺麗な水だったのでしょう。
>
>慎ましく平々凡々と生きることを願う人にそれを全く許さない社会は問題だと思います。しかし、ノン・パフォーミングな部分に多少しわ寄せがいっても、パフォーミングな部分が報われる仕組みは必要だと思う。あくまでもバランスの問題です。アメリカは現在、貧富の差が縮小する方向に進んでいます。日本はその逆でしょう。でも、今後のことを考えると、あくまでも程度問題ですが、日本にとって必要なアジャストメントだと思う。

さてそうなのでしょうか?。
いわゆる小泉改革は国民を勝者と敗者に分け、勝者が敗者を支配し生き残ろうと言う国民2分化政策の側面を多く含みます。
また、その場合多くの国民が敗者に属するものです。
ここに、政治の目的である最大多数の最大幸福の実現と言う理念を見つけることは出来ません。
少数派の最大幸福のために多数に犠牲を強いることが政治の目的となるのならば、政治そのものが、不必要となるのではないでしょうか?。
 
  
  
  
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  [818] Re(2):「無理のない水のごとき政治」
  
        
  
まず、梁瀬進さんのサイト内の「自民党プロブレム」に関する記事をご紹介いただきましたことお礼申し上げます。
最近、もやもやと疑問に思っておりましたことを解決する、大きなヒントとなりました。

>問題は「自民党プロブレム」(*注1)の解消を如何に進めるかです。
>確かに自民党の中にも一見良心派が存在していそうです。しかし待っていたのでは半永久的に彼等は出ては来ない筈です。理由は自民党の方がはるかに居心地が良いからです。

そうでしょうね。政権党にいると言うことの旨み、と言うのは私たちには窺い知ることの出来ないほどのものがあるのでしょう。

>逆に民主党側にも自民党的な人たちが居られるようです。彼等の方はひょっとして事情が許せば自民党復帰の目が出てくるかもしれません。いずれにしても自民党が有利なようであります。これもまた「自民党プロブレム」のなせる技です。
>
>「自民党プロブレム」を解消させるには自民党を政権の座から強制的に引き摺り下ろし、なおかつその状態を少なくとも3年くらいは維持しておく必要があります。要は自民党員に政権復帰の可能性を完全に諦めさせるくらいの野党体験が自民党には必要なのであります。

今考えますと、わずか一年余りで自民党が政権与党に復帰するきっかけを作った当時の社会党と村山執行部の罪は大きなものがある、といえるのかもしれません。

>そのためにどうするかであります。まず野党第1党は徹底的に自民党との差別化を図るべきであります。野党第1党・党首に期待するのは何ものにも負けない不屈の闘志を養うべきであります。そしてひとたび動き出したら暗黙のうちに他を圧倒するほどの指導力を身につけておくべきであります。さらに自らの発言にすべて責任を持つべきであります。ひ弱な闘争心では党員はついては来ないものです。そして党内闘争は徹底的に行われるべきであります。党内で各々が違う方向を見ていたのでは支持者はついてこないです。結果的に脱落者が出てきたとしても党内論議に徹底主義を求めていくべきであります。そしてひとたび党がまとまったならば、党は来たるべき総選挙において党独自の戦い方を貫きあくまでも第1党を目指すべきであります。その迫力が無い党には結果的に支持は集まらないものであります。それが今の民主党に与えられた宿命なのであります。党としてまた党首としてその自信がないのならばさっさと解党なり辞任すべきであります。

外交安保のみならず、様々な政策において野党第1党民主党の腰が定まらず、ふらふらと時に現政権の行う政策を支持したりと言う民主党の姿勢そのものが、国民の間に不信感を呼び低支持率に喘いでいる原因なのかもしれません。
勿論、野党は政権政党の政策にすべて反対を唱えよ、などということを申すつもりはありませんが、少なくとも政権が憲法に抵触する恐れを多分に含んだ法案を提出し、国民の間からもその法案に対して大きな疑義が持たれている現実があれば、その法案の問題点を明らかにし、国民に対して大きなアピールを行うべきではないでしょうか?。
私は民主党が、いわゆる寄り合い所帯のため国民の期待にこたえられない(大胆に政権を批判できない)のであれば解党を行い、その上で私達国民に対してわかりやすい選択肢を提示して欲しい、と思っております。
民主党の解党が、自民党を含む全政党にも広がり、政界再編のきっかけとなればさらにベストだと思います。


>野党第2党以下も考え方は同じであります。自らの力で勝利を求めていくべきであります。各々の党においてそれぞれが最善を尽くして党内体制を整備し来たるべき総選挙の臨むべきであります。はじめに野党共闘ありきでは選挙戦以後の足並みにほつれが生じてまいります。他党に対する不必要な遠慮も発生します。政党にとって選挙とは自らの勢力拡大のための千歳一隅のチャンスであります。それに全力を注ぐことができないのならその政党の存在価値はあまりないです。
>
>そうした戦いの中で選挙後の各政党間の力関係を推し量り自民党に対する包囲網を構築していくしか道はないと考えます。仮にいっぺんで政権奪取ができなくても彼我の力関係の差が縮まるならば、いや応もなくさらにその次の総選挙の日程が上ってくるはずです。そのなかで過去の細川連立政権の反省を活かし、あくまでも新・民主党が野党連合の要をしっかりと押さえていくことが肝要であります。
>
>現在の野党が自らを切磋琢磨していく中でしか「自民党プロブレム」を解決していく道は無いと考えます。
>ぜひ頑張ってほしいと願います。


もしも、民主党が解党した上で出直すつもりが無いのであれば、上記のような方法が「自民党プロブレム」を解決していく道としては、最適だと思います。
自公保連立小泉内閣は暗い時代へ暗い時代へと歴史を暗転させようとしています。

昨日の報道によれば有事法制に絡み、有事の際には国民の思想信条の自由のみならず、信教の自由さえも国家が制限できると言う見解を官房長官が示したそうです。

国家が果して国民の基本的人権を有事の場合にどこまで制限できるのか、と言うことはこれからも大きな議論となるのではないかと思いますが、私はいくらなんでもここまではやりすぎなのではないかと感じています。

なお、国家と個人の関係ではありませんが、会社が同様に個人の思想信条を調査し思想差別によって、人権侵害をした例を引き合いに、このような事例の是非を問うた大谷昭宏さんのコラムがあります。

会社に人の心、生き方を縛る権利はない
http://homepage2.nifty.com/otani-office/news/n020720.html

今一度国家とは何か?、国家と個人との関係はどのようなものが最適なのか?、と言うことを考え直す必要性に私たちは迫られている、そんな時が来ているのではないかと思います。
 
  
  
  
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  [819] Re(3):「無理のない水のごとき政治」
  
        
  
>今考えますと、わずか一年余りで自民党が政権与党に復帰するきっかけを作った当時の社会党と村山執行部の罪は大きなものがある、といえるのかもしれません。

原因は当時の小沢幹事長の拙速さと政治的未熟さがすべての原因であります。彼はまず「さきがけ」の連立与党における居場所をなくし、次に社民党の居場所さえ葬り去った。だから彼等は小沢憎しの一念で対抗的手段をとっていくことになる。例えそれが自滅の道であろうともです。馬鹿な話です。

小沢氏は同じことをまた繰り返す人です。
本日発行のアカシック・メルマガに実に興味深いフィクションが描かれています。
なるほど、ありそうな話です。
今回のストーリーでは民主党についてあえて触れていなかったです。
ここには小沢憎しで有名なもう一人の雄・熊谷国対委員長がおります。
彼のことにふれなければアカシック説は成り立ちません。
 
  
  
  
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  [820] Re(4):「無理のない水のごとき政治」
  
        
  
>原因は当時の小沢幹事長の拙速さと政治的未熟さがすべての原因であります。彼はまず「さきがけ」の連立与党における居場所をなくし、次に社民党の居場所さえ葬り去った。だから彼等は小沢憎しの一念で対抗的手段をとっていくことになる。例えそれが自滅の道であろうともです。馬鹿な話です。
>
>小沢氏は同じことをまた繰り返す人です。
>本日発行のアカシック・メルマガに実に興味深いフィクションが描かれています。
>なるほど、ありそうな話です。
>今回のストーリーでは民主党についてあえて触れていなかったです。
>ここには小沢憎しで有名なもう一人の雄・熊谷国対委員長がおります。
>彼のことにふれなければアカシック説は成り立ちません。

過去の恩讐越えて、自民党政権を倒すために呉越同舟の上で、平成の薩長連合を組むのか?。
それとも、過去にこだわりやはり野党結集は無理なのか?。

考えてみますと、未だに小沢党首が政局のキーマンであることは、面白い事実です。

さて、これと時を同じくして地方からの叛乱、というのも注目です。
長野県知事選は候補者の乱立により、さらに田中康夫氏が有利なのではないかと言う説が伝えられています。
脱ダム宣言に見られる脱公共事業の思想が支持されれば、この流れが全国的なものとなることも十分に考えられます。
そのようなことになれば、公共事業をいろいろな意味で力の根源としてきた古いタイプの議員にとって大きな痛手であることは間違いないでしょう。
「自民党プロブレム」を克服する、21世紀にふさわしい新しい政治への胎動は、地方からもう始まっているのかもしれません。
 
  
  
  
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  [821] Re(5):「無理のない水のごとき政治」
  
        
  
>過去の恩讐越えて、自民党政権を倒すために呉越同舟の上で、平成の薩長連合を組むのか?。
>それとも、過去にこだわりやはり野党結集は無理なのか?。

先のお話は物事を正しく理解していただきたいためのものです。
連立政権を組むときに過去の歴史を正しく理解しておくことにより同じミスを犯さないための教訓となすべきなのです。それと組む相手を間違えないようにするためのものです。

またこれは私の持論ですがいわゆる「薩長連合」など必要ではないと考えております。相手が同格でもないのに何ゆえ「薩長連合」なのでしょうか。必要なのだとしたら主体性にどこか問題があるからです。それでは先の社民党と同じ轍を踏むことになります。今の民主党が目指すべきものはシャチの集団に襲われて餌食になる見掛け倒しの鯨なのではなくシャチなどをいっぺんに飲み込む強い鯨なのです。そうでなければ「自民党プロブレム」の解消などほんのひと時の夢のまた夢であります。

>考えてみますと、未だに小沢党首が政局のキーマンであることは、面白い事実です。

他がだらしないからです。

>さて、これと時を同じくして地方からの叛乱、というのも注目です。
>長野県知事選は候補者の乱立により、さらに田中康夫氏が有利なのではないかと言う説が伝えられています。
>脱ダム宣言に見られる脱公共事業の思想が支持されれば、この流れが全国的なものとなることも十分に考えられます。

最近、考えを変えつつあります。
田中知事批判勢力のいうことにも一理あるなとも思います。
もう少し模様を眺めて見るのも一策かなと現在考えております。

>そのようなことになれば、公共事業をいろいろな意味で力の根源としてきた古いタイプの議員にとって大きな痛手であることは間違いないでしょう。

脱ダム宣言は理念として大切にしていきたいと考えております。
それにいわゆる公共事業は自民党独裁政治の牙城を揺ぎ無いものにしてきた戦略的武器でしたから。

>「自民党プロブレム」を克服する、21世紀にふさわしい新しい政治への胎動は、地方からもう始まっているのかもしれません。

これはわからないです。
一過性のブームで終わるのか、そうでないのか。
田中康夫氏の最近の表情をどう読み取るべきか。
長野県民はどのような判断をおよそ50日後に下すのか。
しばらく注目していきたいと思います。
 
  
  
  
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  [823] Re(2):水に関する考察−老子の時代と現代の違い−
  
        
  
>いわゆる小泉改革は国民を勝者と敗者に分け、勝者が敗者を支配し生き残ろうと言う国民2分化政策の側面を多く含みます。
>また、その場合多くの国民が敗者に属するものです。


こんにちは。

小泉改革は自主的にやっているのか?受動的にやらされているのか?それともやることを余儀なくされているのか?

今後も日本が開かれた国である以上、場合によってはシンドイことですが、対外的にある程度までオープンである必要があると思います。その潮目では必ず競争が生まれ、そして勝者と敗者が生まれ、前者が一握りであることは、まさに小川が大河に呑み込まれる水の流れのようなものです。小泉改革というよりも万有引力の法則に近い。自由主義の行き着く先は川の流れのようなものです。

お上が闇雲に改革を強行するよりも、規制緩和を行い(ある程度まで)自由競争に委ねることで、オープンな日本という国が維持されると思います。その結果、焼き畑のような状況があちこちに生まれます。しかし焼き畑には新しい作物が育ちます。

大雨が降ったときには洪水が起こります。水が手に入りづらい痩せた土地に移るか、洪水を食い止めるかの2つに1つです。なんだかんだといっても、やはりダム・堤防は必要だという結論になります。しかし不必要なところに徒にダムを作る愚は、長野県問題などで論じられている通りです。


>ここに、政治の目的である最大多数の最大幸福の実現と言う理念を見つけることは出来ません。


多数の敗者を作る自由主義・市場主義はアメリカでも行き詰まっています。万有引力の法則です。上に投げたボールはいずれ下に落ちてきます。勝者の没落は貧富の差を(現時点ではあくまでも統計的なものですが)縮小させる。政策的に不均衡を作らないよう留意することが長期的安定をもたらすと思います。不均衡を避けるには規制緩和(アクセル)と規制(ブレーキ)を適宜セットで行うべきで、どちらを欠いても不均衡が生まれ、最大多数の最大幸福からは遠ざかるように思います。日本は「出る杭は打たれる」の諺の通りブレーキが多すぎ、優れたシステムや優秀な人材を擁しながら、本来の強みが活かせていないように見受けられます。

規制・セーフティーネット(ブレーキ)に関する一つのボトムラインは、先に述べた「真面目に慎ましく平々凡々と生きることを願う人にそれを許す環境」の確保だと思っています。つまり、収入はギリギリでいいから家族で仲良く慎ましく平穏に暮したい・・・と思っている人が最低限度の文化的生活を維持できないことがNGになります。もしも最大多数の最大幸福が、能力の如何を問わず、全国民に一人当たりGDP平均相当額の富を無条件に与えることを目指すとすれば、その種の志向はぼくのそれと異なります。
 
  
  
  
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  [826] Re(6):「無理のない水のごとき政治」
  
        
  
>先のお話は物事を正しく理解していただきたいためのものです。
>連立政権を組むときに過去の歴史を正しく理解しておくことにより同じミスを犯さないための教訓となすべきなのです。それと組む相手を間違えないようにするためのものです。

仰ることはその通りだと思います。

>またこれは私の持論ですがいわゆる「薩長連合」など必要ではないと考えております。相手が同格でもないのに何ゆえ「薩長連合」なのでしょうか。必要なのだとしたら主体性にどこか問題があるからです。それでは先の社民党と同じ轍を踏むことになります。今の民主党が目指すべきものはシャチの集団に襲われて餌食になる見掛け倒しの鯨なのではなくシャチなどをいっぺんに飲み込む強い鯨なのです。そうでなければ「自民党プロブレム」の解消などほんのひと時の夢のまた夢であります。
>
>>考えてみますと、未だに小沢党首が政局のキーマンであることは、面白い事実です。
>
>他がだらしないからです。

ただし、私は小沢党首の変化と言うものにも注目をしております。
先の補選では新潟選挙区において自由党の候補を白川さんが応援したと聞き及んでおります。
下の話題にかかわる部分でもありますが、自由党は長野県知事選において田中康夫氏を応援しようとする動きもあります。
小沢党首があの新進党での失敗を省みず、再び破壊のみを行うのであれば、国民は彼を不必要な人間である、と判断をするだけのことです。
石野さんの仰られるとおり民主党は、シャチをも飲み込む強い鯨になるべきであり、単独で政権を任せたいと多くの国民が思う政党になるべきだと思います。
しかし、現時点で現実的なことを考えますと、自公保の前には野党勢力が協力をしあい、まず国民の前に自公保政権を倒すことは可能なのだ、ということを示すべきではないかと思います。

さしあたりましては、10月に行われる5選挙区での補選が、自公保政権打倒のための第一歩です。
ここで野党勢力が勝つことにより、新たな政治の潮流が生まれるのではないかと思います。

>>さて、これと時を同じくして地方からの叛乱、というのも注目です。
>>長野県知事選は候補者の乱立により、さらに田中康夫氏が有利なのではないかと言う説が伝えられています。
>>脱ダム宣言に見られる脱公共事業の思想が支持されれば、この流れが全国的なものとなることも十分に考えられます。
>
>最近、考えを変えつつあります。
>田中知事批判勢力のいうことにも一理あるなとも思います。
>もう少し模様を眺めて見るのも一策かなと現在考えております。

知事選に立候補の意向の石原東京都知事のシンクタンクメンバー経営コンサルタント市川周氏も、脱ダム宣言の理念の必要性を認めつつ、知事の政治手法が問題としています。
他の候補者もほぼ同様に田中前知事の政治手法を問題としています。

さてこの田中包囲網とも言うべき多くの立候補者を相手に、田中氏がどのような戦術を取りどのような主張をするのか?。
私はこの選挙の当事者ではありません(長野県民ではありません。)から、知事選を通してどのような世論形成がなされるのか、注目をしております。

>>そのようなことになれば、公共事業をいろいろな意味で力の根源としてきた古いタイプの議員にとって大きな痛手であることは間違いないでしょう。
>
>脱ダム宣言は理念として大切にしていきたいと考えております。
>それにいわゆる公共事業は自民党独裁政治の牙城を揺ぎ無いものにしてきた戦略的武器でしたから。

公共事業の多くが自民党政治を支えたことは事実ですが、どうも長野県に限ってはそうばかりでもないようですね。
公共事業などの利益誘導を力の根源とし、政治活動を続ける与野党を問わない勢力に対して何らかの問題提起が出来れば、当落はともかく田中康夫氏の大勝利だと言えるのではないか、と思います。

>>「自民党プロブレム」を克服する、21世紀にふさわしい新しい政治への胎動は、地方からもう始まっているのかもしれません。
>
>これはわからないです。
>一過性のブームで終わるのか、そうでないのか。
>田中康夫氏の最近の表情をどう読み取るべきか。
>長野県民はどのような判断をおよそ50日後に下すのか。
>しばらく注目していきたいと思います。

これは別スレッドで議論されている問題ですが、住基ネットの運用開始を目前にして、地方からの叛乱が相次いでいます。
3割自治と言われる地方財政の現状を考えれば、今まででは想像が出来なかったことでもあります。
長らく続いた中央集権的政治体制が、地方の意識レベルで揺らいでいるのではないでしょうか?。
 
  
  
  
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  [827] Re(3):水に関する考察−老子の時代と現代の違い−
  
        
  
こんにちは。

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>小泉改革は自主的にやっているのか?受動的にやらされているのか?それともやることを余儀なくされているのか?
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>今後も日本が開かれた国である以上、場合によってはシンドイことですが、対外的にある程度までオープンである必要があると思います。その潮目では必ず競争が生まれ、そして勝者と敗者が生まれ、前者が一握りであることは、まさに小川が大河に呑み込まれる水の流れのようなものです。小泉改革というよりも万有引力の法則に近い。自由主義の行き着く先は川の流れのようなものです。
>
>お上が闇雲に改革を強行するよりも、規制緩和を行い(ある程度まで)自由競争に委ねることで、オープンな日本という国が維持されると思います。その結果、焼き畑のような状況があちこちに生まれます。しかし焼き畑には新しい作物が育ちます。

私は、規制緩和には大賛成なんですよ。
通信分野において政府が多くの規制を持ちすぎていたためにIT分野において日本が大きな遅れをとったことは、その必要性を説くのに十分な例だと思います。

ただし山口さんも仰っているように・・・。

>多数の敗者を作る自由主義・市場主義はアメリカでも行き詰まっています。万有引力の法則です。上に投げたボールはいずれ下に落ちてきます。勝者の没落は貧富の差を(現時点ではあくまでも統計的なものですが)縮小させる。政策的に不均衡を作らないよう留意することが長期的安定をもたらすと思います。不均衡を避けるには規制緩和(アクセル)と規制(ブレーキ)を適宜セットで行うべきで、どちらを欠いても不均衡が生まれ、最大多数の最大幸福からは遠ざかるように思います。日本は「出る杭は打たれる」の諺の通りブレーキが多すぎ、優れたシステムや優秀な人材を擁しながら、本来の強みが活かせていないように見受けられます。

問題は大きな問題を含むアメリカの自由主義・市場主義をグローバルスタンダードだとして、そのまま取り入れようとしているところではありませんか?。
また自由主義・市場主義を唱えながら、銀行や大企業を構造改革の聖域としている政策も、多くの国民に不公平感を抱かせています。

アメリカは自由主義・市場主義を最高の価値観としてこれを世界中に広めようと務めています。その戦略の中に日本も取り入れられていると言うところでしょう。
しかし、そのアメリカが行き着いた先が、昨年9月の同時多発テロであったことも、覆い隠せない事実です。

このあたりで、果してアメリカンスタンダードであるグローバルスタンダードが、私たちの国にとって最大幸福をもたらすのか、ということを考えることも大切なのではないかと思います。

>規制・セーフティーネット(ブレーキ)に関する一つのボトムラインは、先に述べた「真面目に慎ましく平々凡々と生きることを願う人にそれを許す環境」の確保だと思っています。つまり、収入はギリギリでいいから家族で仲良く慎ましく平穏に暮したい・・・と思っている人が最低限度の文化的生活を維持できないことがNGになります。もしも最大多数の最大幸福が、能力の如何を問わず、全国民に一人当たりGDP平均相当額の富を無条件に与えることを目指すとすれば、その種の志向はぼくのそれと異なります。

この部分については同意します。
過度の社会福祉の充実が、反対に国民の間の活力を削ぐことになっては本末転倒の話であることになります。
しかし、現在進められようとしている小泉構造改革は、「真面目に慎ましく平々凡々と生きることを願う人にそれを許す環境」すらも許さない、多くの国民にとって不必要なものである、と言わざるを得ません。

最近の凶悪事件や年間3万人を越える自殺者の増加を見ていますと、この国が追い詰められていることを感じます。
このような状況の中で、さらに弱者に痛みを強いることは、もはや政治ではないのではないか、この国にもはや政治は存在しないのではないか、そんなことを感じるこのごろです。
 
  
  
  
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  [829] Re(7):「無理のない水のごとき政治」
  
        
  
>ただし、私は小沢党首の変化と言うものにも注目をしております。
>先の補選では新潟選挙区において自由党の候補を白川さんが応援したと聞き及んでおります。
>下の話題にかかわる部分でもありますが、自由党は長野県知事選において田中康夫氏を応援しようとする動きもあります。
>小沢党首があの新進党での失敗を省みず、再び破壊のみを行うのであれば、国民は彼を不必要な人間である、と判断をするだけのことです。
>石野さんの仰られるとおり民主党は、シャチをも飲み込む強い鯨になるべきであり、単独で政権を任せたいと多くの国民が思う政党になるべきだと思います。
>しかし、現時点で現実的なことを考えますと、自公保の前には野党勢力が協力をしあい、まず国民の前に自公保政権を倒すことは可能なのだ、ということを示すべきではないかと思います。
>
>さしあたりましては、10月に行われる5選挙区での補選が、自公保政権打倒のための第一歩です。
>ここで野党勢力が勝つことにより、新たな政治の潮流が生まれるのではないかと思います。

この先は水掛け論ですからとくに何もコメントはありません。
私の言いたいことはすでに一連のいくつかのコメントの中で発しております。
ただ、不用意に「薩長連合」などという言葉は使用されないほうが賢明でしょう。
言葉が勝手に一人歩きをし始めます。

あとのことについても今のところとくにコメントはありません。
各々の見解ということで承っておきます。
もとより他意はございません。
 
  
  
  
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  [831] Re(4):水に関する考察−老子の時代と現代の違い−
  
        
  
>こんにちは。
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>>小泉改革は自主的にやっているのか?受動的にやらされているのか?それともやることを余儀なくされているのか?
>>
>>今後も日本が開かれた国である以上、場合によってはシンドイことですが、対外的にある程度までオープンである必要があると思います。その潮目では必ず競争が生まれ、そして勝者と敗者が生まれ、前者が一握りであることは、まさに小川が大河に呑み込まれる水の流れのようなものです。小泉改革というよりも万有引力の法則に近い。自由主義の行き着く先は川の流れのようなものです。
>>
>>お上が闇雲に改革を強行するよりも、規制緩和を行い(ある程度まで)自由競争に委ねることで、オープンな日本という国が維持されると思います。その結果、焼き畑のような状況があちこちに生まれます。しかし焼き畑には新しい作物が育ちます。
>
>私は、規制緩和には大賛成なんですよ。
>通信分野において政府が多くの規制を持ちすぎていたためにIT分野において日本が大きな遅れをとったことは、その必要性を説くのに十分な例だと思います。


関連業界の方もおられていろいろな意見はあるのでしょうが、IT分野に関しては、他の主要国に比べて規制が多かったがゆえにバブル投機への暴走が抑制され、これがひいては基幹部門への傷が浅くし、さらにブロードバンドや携帯電話の普及も促した、と捉えることができるように思います。もっとも個人的には日本の通信コストは高すぎるとは思っていますが。


>>多数の敗者を作る自由主義・市場主義はアメリカでも行き詰まっています。万有引力の法則です。上に投げたボールはいずれ下に落ちてきます。
>
>問題は大きな問題を含むアメリカの自由主義・市場主義をグローバルスタンダードだとして、そのまま取り入れようとしているところではありませんか?。
>また自由主義・市場主義を唱えながら、銀行や大企業を構造改革の聖域としている政策も、多くの国民に不公平感を抱かせています。


自由主義や市場主義はアメリカの専売特許ではなく、わが国だと織田信長の時代の楽市・楽座あたりにその起源が求められるのではないでしょうか?外国の都合の良い部分だけを取り入れても、システムとして最適化が望めないことは言うまでもありません。

かつて政治信条的な米国的リベラリズム支援のコンテクストとして「自由とは血をもって購うものだ」「自由が根付くにはまだ民度が低い」などの命題が語られたことがしばしばありました。経済分野でアメリカのスタイルを採用しようとするならば、極論すると、「失敗したらホームレスになるなり自殺するなりお好きなようにどうぞ」的な自己責任の意識を高めねばなりません。セーフティーネットは教会・ボランティア団体あたりですか。実際には民意の高さが云々というより、それ以外の選択肢がないから甘受しているように見受けられますね。日本人の多くには選択肢を持つ力がありますから「ノー」という人も多いでしょう。

銀行や大企業を構造改革の聖域としているとのご意見ですが、マスコミ的なビューだと思います。実際には、その部分の構造を本気で改革したら弱者へのダメージは小泉改革の比ではありません。端的にいえば、地方経済のざっくり半分が飛ぶ(2人に1人が失業者になる)と思います。自己都合を優先して良いのなら、銀行や大企業はもっと構造改革をやりたいはずなのです。


>アメリカは自由主義・市場主義を最高の価値観としてこれを世界中に広めようと務めています。その戦略の中に日本も取り入れられていると言うところでしょう。


日本は中国に次ぐ対米貿易黒字国であり、ダントツ一位の米国債保有国です。日本にとってアメリカは最大顧客であり、また一方でゼネコンに匹敵する潜在リスクを抱えた大口融資先ですね。


>過度の社会福祉の充実が、反対に国民の間の活力を削ぐことになっては本末転倒の話であることになります。
>しかし、現在進められようとしている小泉構造改革は、「真面目に慎ましく平々凡々と生きることを願う人にそれを許す環境」すらも許さない、多くの国民にとって不必要なものである、と言わざるを得ません。


経済のシステムやロジックとは縁遠い話題で恐縮ですが、この世にフリー・ランチは存在しないのだ、という信念を持つことは大事でしょう。小泉改革の是非というより、国・企業・個人など多くの経済主体で、現在の支出に見合った収入がないということが最大の問題だと思います。収入を増やすか支出を減らすかしないと、いずれ財政破綻・倒産・自己破産します。収入増/支出減に向けた解決の道筋が立てば、手段が小泉改革である必要はないと思います。日本の各階層で多くの人々がそれを感じていたがゆえに、首相は昨年あのスローガンを通じてテロ後のブッシュに負けない高支持率を得たのでしょう。なぜなら、破綻で最も大きなダメージを受けるのは社会的弱者だからです。

ところで、「真面目に慎ましく平々凡々と生きることを願う人にそれを許す環境の確保」とは、いろいろなケースがイメージできるわけですが、たとえば以下のようなことを避けるべきだということを言いたかったのです。

9月11日のテロでNY市が受けた一次被害の総額は500億ドルといわれ、実際に相当なダメージがありました。しかし実は、全米で最もダメージがあったのはラスベガス・ハワイなどの「えっ?ニューヨークとは全然関係ないじゃん」と思う地域です。また97年の拓銀破綻は北海道経済に大きなダメージを与えました。しかし実は(政治的な手当てをしなければ)北海道以上にダメージを受けかねなかったのが西日本・九州など、北海道とは縁もゆかりもない地域でした。そうなる理由は説明できますが長くなるので省略します。とにかく、意外なことが意外な主体に連鎖するのが現在のシステムで、その伝播は庶民・議員の先生方・凡百のマスコミの常識・予想・カンを遥かに超越したものです。そういう天変地異的なことを通じて生活基盤が根底から崩れてはならない、一般的な人知を超えた部分には無条件にセーフティーネットを張るべきだという、そういうことを言いたかったわけです。
 
  
  
  
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