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>>そこをクリアしないと「ああ・・・今日もやっぱり民度が低い・・・」という、あの無限ループのような「定番の嘆き」から抜けられないでしょう。
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>永遠の課題ですね。
>エリート支配も、うまくいっているうちはいいんですが、特定のポジションに慣れすぎてしまうと国民や住民のニーズを読み間違えるようになる。その辺のフィードバックをうまくやるために議会制民主主義という制度が考案され、ある程度の有効性を認められたから続いているのだろうとは思いますが、
「日本だから」永遠の課題になってしまうのです。
旧帝大卒のエリート支配がうまくいっていた時期は良かったのですが、周知の通り、その後はヒトが続かなかった。だから大衆のニーズを読み間違うのです。いまの日本で一番問題なのは欧米的なエリート層(理由のいかんを問わず結果責任を負うリーダー層)が存在しないこと。これがぼくの現状判断です。
sanyonさんとぼくの違いは、「日本にエリート層は本当に存在するか?」という現実感覚の一点にある。いわゆる問題発言の「ベビーブーマー世代アホ論」では、資質などを云々して差別を意図したつもりは全くありません。庶民の大量生産しかできなかった教育制度など、様々なヒズミが出たんだろうと思います。
欧米社会ではエリートの支配と民主主義の抵抗が「車の両輪」のように機能しているのです。日本は戦争に負けて後者だけが強制注入された。それが自己増殖・ゾンビ化し、不必要なほどの大馬力を持て余して今日に至っている。あの社会党が滅亡してもなお、そのオーバーキャパシティーは解消されていません。
どうせマネるなら、この2つをセットで導入してともに高める努力をしないと・・・。社会がスケールアップしない。そこが師匠たちとの決定的な相違点だと思います。
大衆オピニオンをフィードバックするのが民主主義の機能であるという意見は同意。つまり、民主主義は批判・論評の対象(エリート)の存在を以って初めて成立するというか、エリートを砥石として磨かれる。ところが、いまの日本には批判する相手もいなければ叩き台すら「存在しない」。なぜなら本来エリートとして表舞台に立つべき(だとぼくが思うような)人々が軒並みヤル気をなくし、死んだフリのモードに入っているからです。
大学闘争(?)みたいな熱いケンカをしたいのに、肝心の「戦う相手」がいない。ぼくが蔑視する“ザ・ジャパニーズ・サヨク”は、このコンテクストで、彼らが揶揄するブッシュと同レベル。ゾンビ化した米軍が天下無敵であるのと同様、ゾンビ化した日本的民主主義も天下無敵なのです。テキトーに敵を見繕いお茶を濁すビヘイビアなどはソックリですよ。
日本からエリートが消えた理由は単純。日本であれ以上ソンな役回はなく、日々くだらない野次にさらされながら仕事に打ち込むインセンティブが存在しないから。「アホらし、やーめた」、と。心理面で完全にサイドラインに退き、寝てしまった。ヤル気はなくても能力は高いので、本人やその家族くらいは充分食べていけるでしょう。でも、困惑する人々(彼らがいうところの“被支配者”)は増えた。なぜなら昔も今も、組織なり集団がもたらすバリューの大半は、一部のごく限られた人々が創造してきたからです。
かくして、エリート層が抜けることで生じたシステム上の大穴(欠陥)にどんなバッチを当てて修復するか。民主主義のリフォームを含めた「日本病」克服の処方箋はその一点に尽きますね。
ぼくのアイデアは、日本の豊富な既存リソースの活用に注目したものです。エリートの穴は、「隠れ庶民」を本来あるべきポジション(心理的なことをいっています、為念)に呼び戻して埋めたらいい。もちろん大ヒンシュクは必至でしょう。ただ、どうせ物議をかもすなら、日本の高齢化は待ったなしなのだから、ぼくは時間を取りたい。
sanyonさんの案について。もしも有権者(主に低所得者層)の平均クオリティーを高めることでエリート機能に代替するマクロ効果が期待できるなら有効な一手になりますね。具体的には批評家・評論家をクリエイターに転身させる具体的な方法を考えるのが早い(これも永遠の課題、ですか?)。思うにこの案で本当にトライするなら、共産主義の実験やEUの統合実験に匹敵する歴史的チャンレンジになるでしょう。まあ、他ならぬ日本なので・・・、ダメモトでやってみる価値はあるかもしれないですねどね。
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