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>山口さん、どうもありがとうございます。
>お疲れになられているところ、まことに恐縮であります。
すみません。さすがですね。・・・というか、先日はだいぶ肩に力が入っておりました。
>今のところかなり米国式システムにだいぶ水をあけられいるのは事実でありますが。しかしビジネスの世界は水物でもあります。良いときもあれば悪いときもあります(栄枯盛衰)。しかし忘れてならないことは、今の山口さんはその真っ只中の渦中に居られるという事であります。そして現在の日本的なシステムはいつまでも現在の衣に満足しているわけでもありません。誰であろうとも生きていく限りはそれなりに学習し、それなりに進化していくものであります。また日を区切ってある日突然に米国式システムに変換するということなども決して現実的な選択とは思えません。また日本国内においてもすでに外資系企業以外にもそのようなシステムを導入している一流企業が幾つか存在しております。どちらにしてもいずれ最適と思われるものに淘汰されていくはずでしょう。
絶好調の真っ只中ではなくバブル崩壊の真っ只中ですよ(死)。
アメリカ式とおっしゃいますが、10ン年前に学んだ日本式がインストールされて今日の姿があるのです。日本企業にもピンからキリまで様々な動きがあることは承知しています。心のもち方はどうあれ前向きな動きですから、会社はまだいいのです。
そこで生き残れた人はオッケーですが、淘汰されてしまう人もおり、経済危機は必ずといっていいほど政治危機に飛び火します。90年代の途上国通貨危機は全てこのパターンでした。
だから、淘汰された人たちが集う政治のほうはどうなのですか?ということになる。もしも「さすがに、食えなくなれば変わるんだろう」という部分にトリガーを求めるしかないとすれば、その後の展開は推して知るべしだと思うのですが。
>人の問題を問う前に、日本は儒教文化の国家であるということです。これなどはアングロサクソン系には到底理解不能な思想なのでしょう。日本的な行動パターンの理解を深めるためには日本式の手続きいわばプロシージャについて理解を深めておく必要もあるのかもしれない。といっても日本人であれば誰でも承知していることであります。例え若さに任せてそれを無視していようが、臨終の間際には思い出すものであります。
思うに「花よりダンゴ」ですから、これがホンネの部分なんだろうと思います。
問題になるのは「日本的な行動パターン」や「日本式プロシージャ」と、若い頃に唱えておられた(未だに唱えておられる)「血であがなった民主主義」が両立するのか?という部分。
いささか乱暴な言い方をすれば、本当に民主主義を望むなら、単に年を食ってる程度のことを理由に自分をエライなどと思ってはいけないのです(下の目線からいえば、それも「レッテル張り(byサヨク・テンプレート)ですよ」)。一方、儒教的な年功序列システムを大事にしたいなら、民主主義だの法治国家だの権利だのと、西洋合理主義的なことをワーワー騒ぐべきでないのです。
どちらかで一貫して筋が通っていればヨシ。そうでないとすれば・・・若い頃はベビースモーカーだったのに、老いを感じて健康が気になりタバコをやめて、自分の子供に禁煙を説くオッサンと同程度。ご都合主義に過ぎると思うのですが。だからビジョンを欠き、決断力なく、決してアホとは思いませんが、世代的には総じて実に遺憾な結果に終わらんとしている(功罪3:7)と言っているのです。
先人たちが盲目的に年寄りをヨイショしてたとは思わない。判断力・経験・知恵などが皆を有利な方向に導くと思えばこそでしょう。たしかに、江戸・明治・大正・昭和初期あたりに比べると、一箇所に定住する人は減り、高齢者に希少価値がなく、若者は少なく、子供はもっと少なく、時代の流れは早い。大変なハンデを背負っておられるとは思います。しかも上に述べた淘汰の最前線におられる方が多い筈なので。
この勢いだと民主主義のみならず儒教文化までもすり潰しかねないのではないか?・・・と。オフェンスでは儒教文化、ディフェンスでは民主主義・・・みたいなダブルスタンダードだけは勘弁して欲しいです。
>悪法もまた法なり。政治の世界は魑魅魍魎です。悪法と承知していてもそれを改正する手続きは一朝一夕には行かないもの。そこで短気を起こしていては代えられるものも駄目になってしまいます。
「悪法と承知していてもそれを改正する手続きは一朝一夕には行かないもの」・・・これは法治国家や民主主義が身につかなかったか、そのシステムがお国に馴染まないかのいずれかだと白状しているようなものです。
ぼくは「変えることなどできっこない」と思っているのです。現役時代にできなかったことが、リタイアしてからできる筈がありませんから。こういうダブルスタンダードで現状維持を続けたあげく、これまでと同様に「余儀なくされた唯一の選択肢を自ら選ぶことを強いられる(財政の破綻とかイラク戦への協力とか)」のです。
民主主義でいくなら潔く淘汰されて後進に道を譲り今後も観客席でヤジを飛ばす、儒教文化でいくなら当事者意識を持ちもっとシャキっとする。そろそろ、どちからが主でどちらかが従か、考えても良いのではないか?と思うのですが。
>心なしか私から見える山口さんはどこか旧陸軍の理想に燃えた若年将校たちの姿にダブって見えてしまいます。なぜだろう?
そういう年齢になられたということですよ。
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