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>今回の戦争では、人類が少しでも長く地球上に生存し続けられるための我々の暗黙の了解であった倫理観を、どうやって再確認し、再構築するかが問われていると考えています。従って戦争が開始したから我々の反対が止むわけではありません。そうした位置付けからは、書き込み者が、あれこれほのめかす外務省筋(多分)と思われる多様な情報は、あれば参照しますが無ければ無しですむものです。自らの行動規範は、世界の考えを同じくする数千万の人同様、ごく一般的な原点に拠って定める事ができます。管理人さんの指摘されるように、その原点に立ち返って私は反対・抗議の声を上げ続けます。
どうも、ご苦労様ですね。大変でしょう。
しかし、反戦運動にとっては、事ここに至るまで4年から10年は、こういうことにならぬように行動できるチャンスがあったように思います。
少なくとも、1998〜2001.09.11くらいまでの間に、もっと効果的な行動を取れなかったのでしょうか?
もしそうであったなら、戦争にいたらずとも済んだし、イラクと米英に要求すべきことを効果的に要求できたのでは?
その主張を示唆するものを、外務省のHPから引用します。
(以下引用 3.イラクの一貫した査察回避行動)
●数百の化学器具(平和目的と主張) → 化学兵器生産用と判明
●生物剤の存在否定 → 1995年(フセイン・カーメルの亡命以降に)発覚
●アル・ハカム工場(飼料工場と主張) → 生物兵器工場と判明
●NPT加盟国として核兵器を否定 → 核兵器開発計画が(フセイン・カーメルの亡命以降に)発覚
●弾道ミサイル → 1995年、ヨルダンでイラク向けのミサイル制御部品の密輸発覚→ 1996年、初めてUNSCOMに資料提出
●査察団のヘリ奪取を策し、墜落の危機
●査察団の立入を拒む間に証拠物件をトラックで持ち出す等、証拠隠滅工作
●1997年、「機微な」場所、特に「大統領サイト」への立入拒否・・・・「大統領サイト」は全国に60〜80ヶ所(ゴルフ場サイズのものも存在)
●1998年10月、UNSCOMへの全面協力停止
(引用終わり)
そしてさらに、米英の武力を背景にした警告で査察を再開できたが、イラクの非協力や「実質的にゴミ同然の」イラクの報告書から、米英の「開示すべき」という警告といった警告づくしです。
査察協力は、イラクが十分容易にできた事ではないでしょうか?
リンクとして、外務省の当該HPを提示しておきました。
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