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こんにちは。
別話題扱いとして、フセインによる毒ガス使用で、クルド側の主張によれば18万人が殺されたということですが、こういうことを言わないで「トマホーク」のことを言うのはどうかと思います。
ついでに、左翼が信奉するところのレーニンも毒ガス使用で虐殺しているようです。
(以下引用)(ソース; 「反乱」農民への『裁判なし射殺』『毒ガス使用』指令と「労農同盟」論の虚実(1))
ソースURL
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/leninnoumin.htm
(9)、1921年6月12日、「『毒ガス使用』によるタンボフ農民の絶滅」命令
メドヴェージェフは、『1917年のロシア革命』(P.125)で、次のように認めていま
す。
『ボリシェヴィキが再びロシアを奪還した一九二一年春は、どことなく一九一八年春と似ている。だが今度は国が「土台まで」破壊されていた。工場は操業を停止していた。工業労働者の大部分が村へ去っていった。農業生産は半減した。だが農民は、ただぶつぶつ不平を言っていただけではなかった。再び武器を取って立ち上がり始めた。ロシア中央部ではエスエル党員アレクサンドル・アントーノフに率いられたタンボフの反乱、すなわち「アントーノフの」反乱が荒れ狂った。この時、内戦期において初めて軍は兵器庫から化学兵器を取り出し、使用した。』
ヴォルコゴーノフは、この詳細を『レーニンの秘密・下』(P.135)で公表しました。
『一九二一年四月二十七日、レーニンの率いる政治局は、トゥハチェフスキーをタンボフ地方の司令官に任命した。彼は一カ月以内に農民の反乱を鎮圧すること、およびその進捗状況を毎週文書で報告するように命じられた。トゥハチェフスキーはその期限を守ることはできなかったが、要求の達成には全力を尽くした。
六月十二日に、トゥハチェフスキーは次のような命令を出した。
敗北集団や単独行動の盗賊の生き残り……などが森に集まり、平和に暮らしている住民を襲って
いる。(1)盗賊が隠れている森に毒ガスを撒き、彼らを一掃すること。窒息ガスを森中全体にたちこめさせ、そこに隠れているすべてのものを確実に絶滅させるように綿密な計画を立て
ること。
(2)小火器監察官は必要数の毒ガス入り気球と、その取り扱いに必要な専門技術者をただちに現場に派遣すること。
体制から見て、どういう種類の農民が“本物の階級の敵”とみなされたのかは想像しにくい。だが、似たような措置は他のところでもとられ、政治局はそれを承知し、認めていた。』
(引用終わり)
どっちがどのように非人道的かということを考えても、意味がないのでは?
アメリカートマホーク、クラスター爆弾
フセインー毒ガス、拷問、陵遅刑
レーニンー毒ガス、拷問、見せしめ公開処刑
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