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>ま、ある人たちにとってはとっても便利な言葉なんですけどね。
>民主主義というシステムあたりの根幹を理解しないで語ると
>非常に暴力的な言葉になることを理解して欲しいです。
>
>ほんじゃにゃ…
お久しぶり、ねこかぶりさん。元気でしたか?
ちょっと、話を他の方に振ってみたいと思いますので、失礼ながらどうぞご勘弁を。
しかしながら、ラディンの言葉は、一部の本質をついていた。
「かような大統領を選出したアメリカ国民も悪い」と。
この「放射性廃棄物」と「副産物が電気の放射性廃棄物生産マシーンの見境無き売りこみ」
についても、アメリカの有権者に罪があるというわけです。
アメリカの方々が、「日本の有権者が悪い」という論理をそっくりこれに応用すると、
アメリカ国民は「世界の禍根となる行為がなされたことに責任がある」ということです。
私は、きちんとした「500?700年以上は絶対外界に放出されない」貯蔵方式や、「長半減期核種を何百年レベルのものにする方法」の二つが確実に備えられれば、問題はまったくないと思います。だが、そうではない。
この処理法開発において、最初に放棄同然に捨てたのがアメリカです。
で、こういうものの処理は「国家予算なみ」であり、それでも処理できるかどうかの話です。
まず、確実に、投資による富はほとんど全て食べられます。
だが、やらねば未来はない。
投資・国富・経済以前の前提条件?「人間の生存」というものです。
で、失礼ながら、山口さんにお聞きしたいのですが、「経済や投資戦略の理論で、この廃棄物処理に資本集中をさせることが可能な論理」というのは存在するものでしょうか?
ニューヨーク市民というのは、前に「放射性廃棄物のトラックを通らせなくした」り、
範囲はやや広いのですが「ナイアガラに放射性廃棄物が捨てられていた」ことは記憶しているはずです。
世界に責任があるニューヨークは、これをどのように考えているのでしょうか?
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