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>> 私は、きちんとした「500?700年以上は絶対外界に放出されない」貯蔵方式や、「長半減期核種を何百年レベルのものにする方法」の二つが確実に備えられれば、問題はまったくないと思います。だが、そうではない。
>> この処理法開発において、最初に放棄同然に捨てたのがアメリカです。
>>
>> で、こういうものの処理は「国家予算なみ」であり、それでも処理できるかどうかの話です。
>> まず、確実に、投資による富はほとんど全て食べられます。
>> だが、やらねば未来はない。
>> 投資・国富・経済以前の前提条件?「人間の生存」というものです。
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>引用の最後の一文にある「人間の生存」が一つのキーワードだと思います。
>これをもう一歩前進させ、投資・国富・経済・社会などのシステムは生存を含んだ「リビング・スタンダード」を向上させるために存在する、と考え、その視点から原子力発電を含めた電力事業全体をどう捉えるか書きます。
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>その前に、アメリカ北東部の住人として考えさせられることは、現在のような多消費型のライフスタイルが一体いつまで維持できるのだろうか?ということ。日本で染み付いた省エネ根性ゆえにそう思うのかもしれません。停電で冷蔵庫やPCが使えなくなること、自宅の冷暖房が止まること、自動車が走らなくなること等々は、原発事故や環境破壊と同じくらい深刻である・・・というのがホンネです。よって最低限のリビング・スタンダードが維持できない(石器時代のような)状況は想定しません。
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>電力産業はどの国でもそうですが、完全なる自由競争に基づいた民間企業の形態を取りません。程度の差こそあれ政府・当局の規制を強く受けながら保護されているのが実情で、実態は半官半民。事業の性格上、儲からなくても倒産・閉鎖させるわけにはいかないですから。
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>きちんと調べたわけではないので事実誤認はあるかもしれず、ラフにしか書けませんが、以上を踏まえて、電力事業のトータルコストとリビング・スタンダードの関係を考えます。
>米国電力業界の場合、エネルギーのソースは石炭が半分。残りが原油・原子力・その他です。原油は総需要の半分以上を輸入に依存しているはず。コスト面からいえば化石燃料は安上がりに見えますが、安全保障と環境コストまで含めた国民全体のリビング・スタンダードに影響を与えるトータルコスト、となると判断は難しくなります。
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>地下資源は特定地域に偏在しており、エネルギーの長期安定供給を目標にソースを維持するためには安全保障コスト(軍事費・借款・ODAなど)が必要になる。そして国際情勢の変化やエネルギー価格の変動には不透明感がつきまといます。かりに中東有事が起きないとしても、今後途上国の経済発展が進めば、これまで先進国が欲しいだけ確保できた原油を中心としたエネルギーの需給構造は劇的に変わります。
>先のことはだれにもわからないのだから、エネルギーのソースは広く分散させるに越したことはなく、多少の問題はあっても原子力発電のオプションはホールドすべきである、というのがぼくの考えです。ましてや日本はエネルギー資源のほぼ全てを他国に依存しているのだから尚更それがいえると思う。
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>環境への影響は、原油・石炭等の資源開発に伴う環境破壊・汚染と、その消費に伴うCO2・大気汚染等を前提に、破局的なメルトダウンだけは回避できるという想定で、原子力発電がもたらす環境への悪影響をどう比較考量するかが鍵になると思う。持続的なオゾン層破壊による被爆等や温暖化による悪影響と、一定の確率的で起こりうる原子力施設のメルトダウンとそれに伴う被爆等の悪影響を比較することは、微妙な判断になるはずです。ぼくは素人ですが、その判断材料を客観的に示した資料を見たことがありません。
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>90年代に増加した電力需要の半分がIT産業の新規需要といわれており、一見してクリーンで脱工業的なハイテク産業の技術革新が、一次産業的なエネルギー需給を逼迫させたという一面がある。カリフォルニア州のようにリベラル的な環境政策を重視しすぎてエネルギー政策のバランスを欠き、エネルギー価格高騰のあおりで停電の危機に見舞われ、シリコンバレーの企業が一時的にせよ移転を検討したなどの事例は、小規模な原発のメルトダウンが起きたのと同じ効果をもたらすと考えます。
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>電力が無いところに現代人は住めないからです。
しかしながら、この理論の論理骨格は、
「日本が不良債権を渋る。不良債権処理をしない」理由と、骨格が酷似していると思いませんか?
アメリカの場合、処理をほったらかして40年以上するけど、そのあいだに廃棄物処理の見こみの立たないまま、そこら中に売りつけたわけです。
もう一つ、私は疑問に思うんです。
原子力産業を見るとき、
1)上流(採掘・濃縮・加工)→2)中流(発電)→3)下流(廃棄物処理)
という流れで見て、全体から「産業として成立するか?」という視点で見ていくのが、経済的な見方と思います。
ところが、本論旨においては、なぜか「中流」に巨大なウェイトが置かれすぎているのですが、なぜでしょうか?
問題は、「下流」にこそあるのであって、今まで「中流に異常なウェイトを置きすぎた考え」のため、「下流」の部分の緊急性が深刻になってきているわけです。
この「下流問題」は、今まで何十年も先延ばしにした「米国大不良債権」となっています。
しかし、「今の電力が必要だから」と「下流問題対策」を先延ばしにしてきた。
「その場しのぎのために、国債異常発行、不良債権先延ばし」の日本と、どこがどのようにちがうのでしょうか?
どっちも、「子噛み孫食い」の構図と思いますよ。
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