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□投稿者/ 5628
- 02/4/30(火) 20:03 -
□URL:
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>敢えて、名前を出します。古川利明氏の著作で、あなたが殺される病院の仕組みのことですね。
>視点がずれているのではないでしょうか。
服部さん、速レスどうも。
「殺される」というのは余計です。
医師で、英文の添付文章が読めないでビンカアルカロイド抗がん剤を使う奴は、医者ではありません。それ以前の問題です。
しかしながら、大抵、故意にかどうかわからんのですが、混同している風が多く見受けられておりますので、私は「保健医療制度」とやっておいたのです。
>まず、古川氏の論点の第一点は、医療の主体は、受益者たる患者が中心であるべきだということから、現在の我が国とアメリカの医療の現況を比較したものです。
私から申しますと、日本の問題とアメリカの問題は毛色として反転した問題の質であることを忘れてはなりません。
アメリカの場合、スキルはいいかもしれませんが、払えないために「医薬品の臨床実験に参加する」ことと治療を引き換えにされたり、満足な治療を受けることができないことが多くあるのです。
そうした場合、たとえ技術的には充実していても、助かる人間が少ないわけで、これでは全体として見たときに、問題なわけです。
日本の場合は、問題としては逆で、反転しています。
>最近では、病院側も、患者に対して情報公開し始めているが、医療従事者の不足から、ケアレスミスから、重大な医療過誤に結びついているということ。また、我国の、医師の徒弟制度に、最新の医療技術の進化がおいついていないのではないかということ。これらのことが双幅されて、医療技術が、欧米から遅れをとっているのではないかということです。
ちがいますね。
医療従事者やその教育においては、アメリカは充実しています。
日本の場合は、一人の人間が沢山の医学生たちを教えているのに対し、アメリカは小人数で、師匠が手取り足取り、徹底的に教えているのです。
どっちが、徒弟制度とお思いですか?
日本のは、徒弟制度ともいえない。
かように手取り足取りするだけの教育のための費用もないような中で、よくもまあ、あんだけで済んでるもんです。
けれども、こういうことには普通あまり気づかずに、医者の質や現場の話ばかりに終始する論調には、医療のためにも医師などのためにも我々受益者のためにも、三方いずれのためにもならぬと考える次第です。
>5628氏の言う日本が一位というのは、医療保険制度が1位であって医療技術が一位ということではありません。、保険制度と医療技術は決して、同列に論じられるものではないと思います。
>古川氏の主張の中で、我国の医療保険制度の歴史を読むと、長い歴史の中で、当時からあまり変わっていない、つまり制度疲労の弊害が、今日の医療現場の混乱に繋がっているのではないかということです。
保険制度ときましたね。
そこなんですよ。
しかし、ここを下手にいじくれば、極めて深刻なことになります。
こうした制度の根本的な趣旨や理念、それを活かすための実践のための趣旨・理念、このための方法論、実践のための方法。
これら四つに分けて、何が回避できなくて、何が回避できるか、受益として何がえられて、何を失うか。
これらの問題に丁寧に考えていき、議論を十分に煮詰め且つ醸成させてから、この問題の対応を決めるべきです。
あと一つ、保険医療制度(従って、医療保険制度を含む)と医療技術の問題を同列に論じてはならぬと、つまり「基本的には関連させるべきでない」と称しながら、貴兄の返信の終章あたりにおいて、保険医療制度が医療技術に関連している印象を受けました。
過誤の原因が医療技術にあるとすれば、何ゆえ保険医療制度に言及しなければならぬのでしょうか?
不思議ですね。
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