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中国のことをいくら考えても、しょせんはヨソの国のことです。我々は自分の国のことを真剣に考えるべきだと思います。その問題提起を一つ。日本に住んでいる方が(おそらく)気付いていないことで、外国に住むぼくの目から見て日本における最大の失政の一つだろうと思えるものが、電車などに設置されている“シルバーシート”の存在なのです。
アメリカにも駐車場だと障害者向けのスペースが多く確保されていますが、公共交通機関のpriority seatingは探せばどこかにあるだろう・・・程度。あれほど大々的に障害者・高齢者向けの座席スペースが確保されているなんてことはありません。帰国するたびにあれを見て、ぼくは「おや?」と思うのです。
あの手のシートがあれほどの規模で存在するということは、困っている人に対してだれも席を譲らないという慣習があることを意味し、困っている人がいても周囲がだれも助けないことを意味する。日本はそれほど無慈悲で冷たい国です、と内外に宣言しているに等しい。ウヨクみたいなことを言ってしまいますが(笑)・・・、武士道の精神の流れを汲む日本にとって、シルバーシートなど国の恥以外の何ものでもありません。民族の不名誉とすらいえる。だいたいにおいて、あんなシートがあれほど大量に設置されている国を、ぼくは見たことがありません。
普通の道徳心がある健常者なら、車内にそれらしい人がいなくてもあそこに座るのは憚られるはず。また、自分が不幸にして身障者もしくはヨボヨボの高齢者になっても、ああいう差別的なシートに座るのは不愉快あるいは不本意です。自分が差別/区別されるに足るロクデナシのように思えてくる。もちろん、ここらへんは人によって感じ方や価値観が別れるところで、権利だから行使するぞ!という割り切りができる人だっているかもしれませんが。
電車は帰国しても1〜2回乗るかどうか程度で、本当のところはよくわかりません。が、ぼくの見たところ、日本で運行されている電車の総シート数の10%程度が事実上のデッド・スペースと化し、有効に利用されていないように思う。大事なことは、その非効率きわまりないデッドスペースが、良識ある人々の良心とモラルを蝕み、痛めつけ、そして人間が本来持っている「困っている人を助けよう」という自然な気持ちをマヒさせてしまうこと。
ああやって強制的にシートを確保しなければお年寄りや障害者はだれにも席を譲ってもらえないのだろうか?自らが障害者や年寄り(のような社会的迷惑な存在)だとアピールし、権利や人権を主張しないとまともに席に座ることすらできないのだろうか?と。
たとえば、松葉杖をついて(あるいは車椅子に乗って)ニューヨークの街を歩いたら、1時間で一体何人の人が助けてくれるでしょうか?おそらく見当がつかないほど大勢の人々が、ドアを開けてくれたり道を譲ってくれたりエレベーターを譲ってくれたり交差点を渡るのを助けてくれたりすると思います。ぼくだってそうします。やらねばならないのではなく、そうするのが当然だと思っているからです。
ぼくの意見ですが、シルバーシートは斜陽国家・二流国家たるニッポンの象徴。当初は(おそらく)それなりの考えがあって導入したのでしょうが、その実験は失敗です。全廃すべきでしょう。代わって、困っている人を見かけたら周囲の人が助けることを、道徳なり宗教なりの叡智で広く教えるべきです。困っている人がいたらコミュニティー全体で支えようという意識を取り戻すことが大事。本来の日本にはそういう道徳心や高い(というより普通の)モラルがあると思います。身近なところから国やコミュニティーを暖かいものにし、同じ日本人同士なんだからみんなで助け合っていこう、という空気を広げていくことが大事だと思う。
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