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□投稿者/ 山口
- 02/5/22(水) 13:20 -
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こんにちは。やや本題からはそれますが・・・
> アメリカはキリスト教国ですよね。
>「チャリティ」という教えがありますよね。
> つまり、他人に善いことをすれば天国に行けるから、善いことをする、と
>いうことです。ま、ある意味自己中心的な発想による行為なんですね(笑)。
>
> それに対して、日本人はそんな発想、持ってません。
日本人が持っていないのではなく、ちーさんがご存知ないか、もしくはお忘れになったのです。
「情けは人のためならず」という諺がある。
これは、かつて中学あるいは高校の入試の頻出語句だった(はず)。他人に情けをかけてもその人のためにはならない、という解釈をすると×になります。
ぼくは、人間の叡智が洋の東西を隔ててそれほど違うとは思わない。日本にだって、極楽浄土に行きたい一心で精進している人がいるかもしれないですし。もっとも、そのエッセンスを自己中心的だと思うかどうかはその人の価値観によるでしょう。
なお、ぼくはいわゆるチャリティー(donation)には積極的なほうですが、その立場から。あれは宗教団体へのお布施・寄進とは違います。むろん打算・計算はありますが、インセンティブの半分以上は自発的なものです。見返りは期待しません。差し上げるんですから。
> アメリカはどうでしょう。
> 高負担・高福祉が北欧型と言われるのに対し、低負担・低福祉はアメリカ型
>だといわれます。
>
> はたして優先座席を、不要だから作らなかったんでしょうか?
> 「なくて当たり前」、「ハンディキャップを持つ人は不便をして当たり前」、
>「平等にして当たり前」などと考えていても、作られないでしょうね。
> 僕はむしろ、後者のほうなんじゃないかと思うんですけど。
箱モノのバジェットも大事ですが、それを生かすも殺すもソフト次第。つまりは「仏作って魂入れず」の悲劇を避けられるかどうかでしょう。福祉しかり、軍事しかり、景気対策しかり。
結果として、そのソフト面で日本は劣っているということ。その象徴的な一例として、電車・バス・デパート・歩道などの公共スペースにおいて身体障害者や老人が感じる快適さが違うという事実を述べたのです。
> そういうことを考えると、この優先座席という制度は、むしろ諸外国に胸を
>張って言える制度なんじゃないか、なんて思ったりしますよ。
さしずめ「公衆道徳が発達しているから不要である」というのが諸外国(一部に例外あり)の見解でしょう。もしその逆も真なりだとすれば(事実、ある程度まで真なのでしょう)、実にミジメで恥ずかしいことだと感じる人が少なくないはずなのです。日本に住んでいる人たちがそう思うようであって欲しいと願っています。だから民族の恥であると書きました。
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