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□投稿者/ ちー
- 02/5/22(水) 14:56 -
□URL:
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>「情けは人のためならず」という諺がある。
>これは、かつて中学あるいは高校の入試の頻出語句だった(はず)。他人に情けをかけてもその人のためにはならない、という解釈をすると×になります。
けどそれは、けっして宗教上のものでもなければ、強制的・半強制的に
行われているものではないでしょう?
日本社会の価値規範でいうと、他人に情けをかけなくても、罰せられる
ことはありません。キリスト教規範では情けをかけなかったら罰せられる
のに。
それが文化の違いであるわけです。
>ぼくは、人間の叡智が洋の東西を隔ててそれほど違うとは思わない。日本にだって、極楽浄土に行きたい一心で精進している人がいるかもしれないですし。もっとも、そのエッセンスを自己中心的だと思うかどうかはその人の価値観によるでしょう。
日本人は無宗教的ですからね〜。
まぁ実際は、日本人は自分自身で自分の宗教的行為を宗教的であると理
解している人が少ないですから難しいんですけど(^^;。
すくなくとも、はたしてどれだけの人が日々「極楽浄土に行くために」
という理由で、善いことをしているでしょうか。
ほとんどの人がしていないんじゃないですか?(^^;
>なお、ぼくはいわゆるチャリティー(donation)には積極的なほうですが、その立場から。あれは宗教団体へのお布施・寄進とは違います。むろん打算・計算はありますが、インセンティブの半分以上は自発的なものです。見返りは期待しません。差し上げるんですから。
本来の意味のチャリティーと慈善は本来違いますよ?
チャリティーは本来宗教上の理由によるものです。
対して慈善は、感情的なものです。
似ているので日本ではすっかり混同されちゃいましたが。
慈善であっても、チャリティーではないことは、たっっっくさんあります。
「かわいそうだから」とか「恵をわけてあげたい」と考えて寄付を行うのは、
慈善です。対して、善いことをしなきゃ極楽浄土や天国に行けないから善いこ
とをする(その善いことのひとつが寄付。寄付先は宗教団体に限らない)という
のが、本来のチャリティーです。
ですから、山口さんの行いは、慈善であっても、本来の意味でのチャリティー
じゃないです。
さて、こっからが本題。
>さしずめ「公衆道徳が発達しているから不要である」というのが諸外国(一部に例外あり)の見解でしょう。もしその逆も真なりだとすれば(事実、ある程度まで真なのでしょう)、実にミジメで恥ずかしいことだと感じる人が少なくないはずなのです。日本に住んでいる人たちがそう思うようであって欲しいと願っています。だから民族の恥であると書きました。
北欧諸国は社会福祉が発達しています。じゃぁ、北欧の人たちは公衆道徳や
福祉観念が遅れているから、ハコモノづくりを優先したんでしょうか?
答えは「否」ですよね。
「ハコモノが発達しているのは公衆道徳や福祉観念が遅れているからだ」と
考えるのは、あまりにも短絡的発想です。
公衆道徳や福祉観念が発達していなければ、ハコモノがつくられることはな
いんです。
そういう社会的背景を考察すると、決して日本はソフト面が劣っているとは
僕は思えないんですけどもね。
福祉を必要と感じなければ、誰も行動を起こしません。そういう意味では、
僕は日本は福祉先進国の部類に入ると思います。
蛇足ですが、もっとも最近では、「日本人に福祉感覚がようやく根付いてき
たので、もう優先座席はいらないんじゃないか」という議論も、社会福祉学で
は出ているそうですが。(現に阪急電鉄は優先座席を廃止しました)
しかし、その廃止論はそれは「日本の恥だから廃止」には結びつきませんね。
むしろ「誇らしい廃止」でしょう。
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