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> けどそれは、けっして宗教上のものでもなければ、強制的・半強制的に
>行われているものではないでしょう?
> 日本社会の価値規範でいうと、他人に情けをかけなくても、罰せられる
>ことはありません。キリスト教規範では情けをかけなかったら罰せられる
>のに。
> それが文化の違いであるわけです。
そう。こちらが罪の文化なら、そちらは恥の文化。
以下やや独善的と感じる方もおられるかとは思いますが、補足&脱線として、ぼくのファクトに基づくビューを書きたいと思います。
> 日本人は無宗教的ですからね〜。
> まぁ実際は、日本人は自分自身で自分の宗教的行為を宗教的であると理
>解している人が少ないですから難しいんですけど(^^;。
卑下するに及ばず。これが一朝一夕に得がたい素晴らしい資質であると同時に、日本人の唯一ともいえる(対外的な)competitive edgeであるという事実も、国内にいると見えづらいところです。
ただこの点に限っていえば、ここ10年間の苦しみを経て日本の保守層は明らかに気づいている。日本の躍進は「あ・うん」で通じる柔軟性を伴った一体感にあったと自覚するがゆえに、歴史の針を元に戻そうと躍起になっているように見えるのですが・・・(永田町についても、そう思いたい)。残念ながら、時代の流れは貧富の差が拡大して人心がバラバラになる方向。ぼくのguessですが、永田町がどんな法案を通そうとニッポンの“自由”は守られますよ。ご安心あれ。旧ソ連が共産体制の崩壊を食い止められなかったように、「時」が味方しているトレンドに対して人間は無力です。
ぼくが外野から実に皮肉なことだと思っていることは、(勝者と敗者が存在する)自由な社会に進みつつあるなか、勝者になれそうな人ほど「日本人としての一体感が失われる」とあれこれ憂慮する一方、敗者になりそうな人ほど「自由を守れ」の一点張りで自由を支持しているように見えること。このBBSに自由推進派が多いことは承知していますが、各位が最終的にどこにグルーピングされるかはともかく、知人をざっと思い浮かべると大勢はそんな勢力図になる。
勝者予備軍がさらなる自由と規制緩和を、敗者予備軍がさらなる平等と規制を求めるなら実にアメリカ的でよくわかるのですが、現実には、多くの方がご自身のメリットを極小化しデメリットを極大化する非合理的な主張を熱心にしているようにみえる。ぼくは、前者が一体感の喪失を心配する真意はよくわかる。彼らは、もしも100人に完全なる自由を与えたら、2人が金持ちになり、10余人が現状維持し、80余人が(中進国級の)貧困層に転落することを見抜いていると思うので。苦しいとか、つらいとか、そんなエモーショナルな次元じゃないと思う。生活がかかってますよ。勝者予備軍が個人的なデメリットを省みずに一体感を求めようとするのはなぜか?月並みな表現ですが、家族を思うような愛国心があるからだと思う。
そういう(アメリカ的にいって)奇特な考えの持ち主が未だに存在しているところに、日本という国の懐の深さと強さ、そして先進国としてのメンボクがあるように思います。ぼくは日本復活の萌芽をそこに見出している。
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