|
>ぼくの大局的なビューをいえば、ちーさんが願っているのと(おそらくは)反対方向。つまり日本型の社会主義・共産主義は(ぼくは日本を定性的に民主主義・資本主義体制とは思ってません)10年前の旧ソ連の共産帝国のように滅びんとしている、というものです。
まぁ僕も日本は社会主義国家で、その社会主義体制が滅びて欲しい、とは思って
ますけどね。けど現実的には、滅びないだろうなぁとも思いますけど。
>もっといえば、間違っても(失礼ながら人畜無害な)ちーさんが望む「自由」を剥奪する方向性ではないと思う。案外敵だと思っていて、実は味方かもしれない。いまの日本政府がやろうとしていることは、15年前の旧ソ連で有事法制・メディア規制を行う所業近いのではないか?というのがぼくのビューなのです。ナイアガラの滝は一本の杭では止まらない。大勢はlaissez-faireの方向。
僕は、常識を信じている人にとっては、有害だっせ(笑)。
非常識なことを堂々と言うから。脱常識してるから。
まぁそれはおいといて。
僕はそういう「破滅的方向」(すくなくとも僕にはそう感じます)へのシフトは、
望まないです。
有事法制やメディア規制法案で自由を放棄する代償は、僕はもっともっと大きな
もの、取り返しの付かないぐらいのものになってしまうと思っています。
>・・・という趣旨のことを書いたつもりです。日米比較をしただけで、矛盾はしていないと思うのですが・・・。
すんません、このへん、間違えて解釈してました(^^;。
まったく僕の単純ミスです。お許しくださいませ。
ああ、アホまるだしですわ。
>政治の世界で「自由」というばあい、大きく2通りの概念(freedom&liberty)があると思いますが、この対照的な2つの概念が日本語ではともに自由と翻訳されてしまうため、その場の雰囲気で都合の良い方を選択する(日本的な)ムシの良さがあり、混同があり、二兎を追って一兎も得ないのではないか、というのがぼくの観察です。日本語で「自由」という場合、そのコンテンツを確かめないとその人の真意を見誤ると思う。経験上、ぼくに限っては、この種のミスコミュニケーションが実に多いのです。
>「勝者予備軍がさらなる自由と規制緩和を、敗者予備軍がさらなる平等と規制を求める」
>この文脈(↑)における自由はfreedom。自由=政府を信じない=小さな政府=減税を通じて強者に還元=米国共和党的概念としての自由=機会均等。
>一方で同様に平等はliberty(リベラル・・・ですよ)。平等=政府を信じる=大きな政府=公的支出で弱者に還元=米国民主党的概念としての自由=結果平等。
たしかに。
でも、日本人って(外国でもそうかも知れませんが、とりあえず日本国内でいう
と)、平等平等って言ってますけど、何の平等かがハッキリしてませんよね。機会の
平等か、結果の平等か、環境の平等か。平等、公平、公正、意味は全部違うのに、
同じように扱ってしまっていますね。
|
|
|
|
|