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□投稿者/ 5628
- 02/6/29(土) 15:11 -
□URL:
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こんにちは。
まあ、白衣のことについては、「善なる部分こそ、我らは見るべし」という考えなんで、この意見ー謝礼など云々には与しません。
医者の立場なんぞ、私から見ればすさまじい過労状態で、身が持たない人々もそれなりにいます。
定時で働くわけでもない。不定時で働き、夜も呼び出され、給料は安いというのが今の医師の現状であります。
そうした中で、医師や医療のことなど云々するなら、彼らに大きな高度医療とか手術するときくらいは、「技術提供料」というものでも創立するようにして、彼らに自尊心を与え、インセンティブを提供し、こういうことが起こりにくい医療システムにでもしたほうがいいと思います。
事故や過誤は、本人の予測できない体質などで起こる場合は、現在のところ仕方ないんですが、今回のようなケースや今まで出てきた事故ケースからすると、「人間工学」や「安全工学」を巧妙に応用すれば、大方防げたものが多いようです。
こういう主張がされないというのは、今までの医療過誤論争において、借用され導入された見方が、相当に貧しい、あるいは効果がないことを裏付けるものです。
一体いつ、今までのような見方を脱して、効果のある方法を取り上げ議論するようになるのでしょうか?
これでは、犠牲者の方々に、申し訳が立たないと思います。
十年一日のごとく、同じような論争をしても効果がないと思います。
発展性があるんでしょうか?
さて、大学病院のことですが、案外問題のある医学者が多くて、技術に問題がある人々が比較的います。
むしろ、それゆえに残っている方もおられます。
しかし、今回の心臓手術事故の場合、飛行機事故などと類似したものが多く、意思の疎通がないとか、起こりうる問題を掻き出して潰していく戦略でいかなかったとか、カテーテルの留置のしすぎとか、飛行機事故の続発時代の安全対策とアナロジーのあることが多いです。
いつか誰か、医学以外の工学者や安全技術関係者の人々が介入して、一定の実行可能な「医療安全のフォーマット」をつくっていかないと、彼ら医療関係者だけでは大幅低減は無理だと思います。
そうした意味で問題なのは、1)医療関係の閉鎖性、2)私達が医療費の負担増加を許容できるか?、という二つの点です。
今まで私達は、「あれがああでいけない。これがこうでいけない」とばかり言っていますが、たまにはいいアイディアくらいは出して、何がしかの社会貢献を議論を通じてできないものでしょうか?
今まで、「@@はだめ。**はだめ」と、この手の医療過誤問題で言って来ましたけど、効果もない。これでは、犠牲者が可哀想で浮かばれません。
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