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□投稿者/ sunyon
- 02/7/10(水) 0:52 -
□URL:
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> 事故や過誤は、本人の予測できない体質などで起こる場合は、現在のところ仕方ないんですが、今回のようなケースや今まで出てきた事故ケースからすると、「人間工学」や「安全工学」を巧妙に応用すれば、大方防げたものが多いようです。
性があるんでしょうか?
> さて、大学病院のことですが、案外問題のある医学者が多くて、技術に問題がある人々が比較的います。
> むしろ、それゆえに残っている方もおられます。
> しかし、今回の心臓手術事故の場合、飛行機事故などと類似したものが多く、意思の疎通がないとか、起こりうる問題を掻き出して潰していく戦略でいかなかったとか、カテーテルの留置のしすぎとか、飛行機事故の続発時代の安全対策とアナロジーのあることが多いです。
> いつか誰か、医学以外の工学者や安全技術関係者の人々が介入して、一定の実行可能な「医療安全のフォーマット」をつくっていかないと、彼ら医療関係者だけでは大幅低減は無理だと思います。
> そうした意味で問題なのは、1)医療関係の閉鎖性、2)私達が医療費の負担増加を許容できるか?、という二つの点です。
古川さんの本の受け売りになるんですが、医療側では「リスクマネジメント」というかたちで医療過誤の防止に取り組んでいるとのことです。基本となる考え方は、5628さんが上記で書かれた通りです。
ただ、その障害になるのは、医療事故や医療内容の情報が外に出て来なくて、どのくらい事故が起こっているのか、どうして起こっているのかという基本的なデータがない、ということのようです。このあたりの、「医療関係の閉鎖性」については、「システムとしての医療過誤」の他、「新潮45」に古川さんが書かれた文章に詳しく書いてあります。この背景にあるのは、石野さんの言葉どおり「慢心」であろうと想像します。
もうひとつ、リスクマネジメントのために新しく起こる時間的・金銭的・人的コストの問題。これも5628さんがおっしゃる通り、究極的には我々がどこまで医療に金をかけられるかということになるかと思います。
この手の事故・隠蔽工作の流れは、旧・厚生省の薬害エイズや、農林水産省の狂牛病対策ミスを思い起こさせます。みずほ銀行グループのシステムトラブルを入れてもいいかもしれません。組織が大きくなって、スタッフと、顧客(あるいは患者・納税者)との距離が遠くなると、組織の内輪の理屈が先行して、血の通った仕事ができにくくなるのかもしれません。
この国のいろいろなところで動脈硬化が起こっているような気がします。
それを解決するのは、古川さんの言葉を借りれば「透明性」「説明責任」なのでしょう。顧客(患者・納税者)が常にそれらを求めてゆかないといけない。
彼の著書の「システムとしての医療過誤」という副題は、じつに的を射た表現だと、このBBSの議論を拝見してあらためて思いました。
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