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こんばんわ。蒸し暑くて大変なことと存じます。
きわめてデリケートな話題に忌憚のないご意見をいただけたことに感謝しています。
>しかし上の山口さんのお考えは例えば閣僚クラスであれば首がいくつあっても足りないほどの内容であります。
そう思います。
日本は様々な議論がオープンに行える国だと思っていますが、こと第二次大戦イシューに限っていえば、我々「日本人」には言論の自由がありません。また国際世論(アングロサクソン世論)も全くそれを認めていません。そういうなか、「戦争責任?そんなモンぼくは知らん!」という世代の立場から、一石を投じたいというよりも、客観的な事実であると考えるところを申し上げたいと思いました。それは、今後の日本を考えていただくうえで何らかのお役に立てると信じたからで、日本人の民族的な優位性をアピールするものではありません。またこれはあくまでも個人的見解であり、だれかに押し売りしようと意図したものでもありません。
>地政学的に島国である日本と大陸とは陸続きの半島国・朝鮮では侵略される度合いが全く違います。我が国は四方を海に囲まれた完全な島国であり、その取り囲んだ海が自然の要塞と化していたわけであります。したがって幸運も作用し完全に侵攻・侵略された経験など全くなかったわけであります。
中国の日本大使館の事件で遺憾ながらわが職員が中国の官憲をウエルカムしていたことは記憶に新しいでしょう。大使館員は日本国の主権を守るよりも、外国権力を利用して混乱を収拾し、所属する官僚組織を保全することを優先した。一見プラクティカルなソリューションに見えて、利用したつもりの外国人(しかもタカリ屋)に貸しをつくり、そのうえ主権が蹂躙された。事件後の中国のわが国に対するタフなスタンスが全てを語っています。少し長い目でみると大局観を欠いたイージーな意思決定は実に高くつくということ。あの事件で、だれのどこを責めるべきなのか?侵略行為を行った中国人を一方的に追及するのか、安易な自己保身に走った己を反省するのか。持論ですが、やるほうが悪いのは当然として、やられるほうだって悪いのです。
両方の立場を経験しないと、加害者・被害者の何たるかは理解できないでしょう。いま日本人はあの事件を振り返ることでそれ(被害者の立場からみた加害者)が理解できる。我々の強みは物事を反省し、改善できる部分にこそあると思う。それがイノベーションであり構造のリフォームです。
ぼくの理解するところでは、昨今の日本の在外公館まがいのことを国政レベルでやってしまったのが戦前のコリア王室です。先の発言は、余計なお世話ながら、わが外務省がアホだったと語るのと同一コンテクストで過去の隣国を語ったに過ぎず、この意見はコリアン・アメリカンのサウンドも取っています。日本の幕府vs薩長はいかに窮してもイギリス・フランスに軍事介入させず、また多くの外国借款を受けず、最終的に列強に直接支配の口実を与えなかった。現在の自民党政権も、いかに馬鹿だタワケだと蔑まれて事あるごとに諸外国タカられようと、その2点だけは慎重に避け、国家主権の水際防御に尽力しているように見受けられる。それが要因の全てだというつもりは毛頭ありませんが、わが国がバッシングされる一因をなします。
我々は現在の国際秩序のなかで亜流に属するアジア人です。遺憾きわまりないことですが、その事実は受け入れざるを得ない。マイノリティーとして欧米に伍して専守防衛に徹しようとしたとき、あれ以外のどんな戦略オプションが取りえるのでしょうか。所詮、モノは言いようです。たとえばコリアのように外国資本の占有率が高いと経済面では主権もヘチマもない。出資者が改革せよ、ダメな会社を倒産させよといえば彼らは「イエス」と言わざるを得ない。能力・人物・マナーの全てにおいて平素尊敬の念を抱いていた南の友人たちの勤務先はここ数年で次々と潰れました。コリアが本来持っている良い部分は壊滅している。働けど彼らの生活は楽にはならない。そこに不用意にカネを入れても現在の世界秩序をベースにした帝国主義が搾取し、意図せざる主体が太るだけです。飛躍しますが、それならいっそダムでも作ったほうが・・・という考え方は成り立つはずです。
地政学的なポジションが大きな影を落としているのは重々承知しています。が、それに全てを求めたら、日本にとってコリアは永遠にミルク補給先のまま、両班意識と儒教思想に依存せざるを得ない彼らの対日スタンスも未来永劫あのまま。日本とコリアの関係は永遠に変わらない。戦後の歴史を通じてすでに結果は出ています。
ざっくり、以上のようなことを言いたかったわけです。
日本のいわゆる進歩的知識人の思想に相容れないことは承知のうえで発言しています。が、それほど間違ったことを述べているつもりはありません。カワイソウだから・・・、過去に悪いことをしたから・・・、彼らの人権を考えて・・・、などの道徳的な哀れみで事態が打開できるのなら、とっくに次の展開に進めているはずです。
この件、ぼくはどなたの反論も有り難く受け入れます。
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