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□投稿者/ sunyon
- 02/8/12(月) 22:49 -
□URL:
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>どの国もそうでしょうが、国益の最大化は大きな政治目標です。
>余談ですが、別スレッドで話題になっている田中康夫氏にそのマインドを期待できるか否かにはクエスチョン・マークがつきます。そんなことドーデモイイじゃん、と思っているのだとすれば、在野で作家を続けられたほうが世のため人のためになると思う。ま、長野県民じゃないからどうでもいいのですが。
うーん、他の国の恨みを買いまくるのが「国益の最大化」になるんだろうか。短期的には良いかもしれないけど、長期的には損なような。「国益」というのは、そんなに固定した自明のものなんでしょうかね。
それから、田中康夫氏が「国益」を追求すべきかという話ですが。
国政に携わる政治家が追求すべきは国益、県政に携わる政治家は県民益(これは田中氏の造語ですが)、市制なら市民益、町政なら町民益、村政なら村民益じゃないでしょうか。職務に忠実であろうとすればそうなります。それに国益にしろ県民益にしろ、住民の利害が一枚岩でない以上、何をもって益とするかは、微妙な判断になると思います。
>ところで、ぼくがいわんとしたことは、あこがれの米国リベラル勢力も、現在のブッシュ政権も全く同質・同根なのだ、ということ。前者の決戦兵器はドル(財務省=ウオール街=メディア)、後者は軍事力(国防省=軍事産業=諜報機関)。かたやグローバリゼーション、かたやフリーダムという美辞麗句を振り回し、対外的に力を行使していることになんら変わりはない。
この趣旨は理解したつもりでおります。
米国リベラルもブッシュ政権も目クソ鼻クソだということですね。
ですから、やっぱりブッシュ政権は鼻クソじゃないか、と申し上げているわけで・・・。
>今次の戦争でどれだけの人命が失われるかはわかりませんが、振り返ると、リベラリズムを旗印にしたグローバリゼーションの破綻で起きた(主に途上国の)経済危機でどれだけの人が死んだでしょうか。現在のパレスチナ紛争・アフガン戦争の比ではありません。90年代後半以降の日本の自殺者もそう。軍事衝突こそ起きませんでしたが、毎年日本軍の1個師団が戦場に投入されて全滅するに等しいわけで。
>
>軍事力を行使して10万人殺すのと、ドルの威力を行使して10万人殺すのが、同じなのか、それとも違うのか、ということです。
死というものをどう捉えるかで変わってきます。
ただの数として捉えるなら同じ。
でも、「死」を死んだ当人だけではなく、残された者たちが抱え続けてゆくものと考えれば、違います。
米国の銃弾や爆弾で近親者を殺された方が、より米国に対して深い恨みを持つでしょう。
さらにこの問いには、「米国リベラルが政権を握らなければ経済危機も起こらず、日本の中高年や途上国の人々も死なずに済んだ」という前提が必要です。山口さんはこのあたりの分野が専門のようですので、「米国リベラルは札束で人を殺す」という実感を疑うつもりはないんですが、話題が話題なので念のため。
>イメージ的に違うと思えばリベラル勢力は一味違うということになり、実質的に同じだと思えば同質・同根だという結論になる。こんなことばかり言ってはいけないのでしょうが、これまでの経験から、被害者には目もくれず凶悪殺人犯の人権擁護にひた走るのが典型的な左派的思考だとぼくは理解しているので、拡大解釈すれば両者は全く別物だという結論に直結しかねないのがちょっと・・・と思っているのですが。
お陰様で、このあたりは認識を少し改めました。
でもやっぱり、ブッシュ政権への認識を変えるような要素を、山口さんの議論から見出すのは難しいです。
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