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>金融機関・通信企業をバックにした国際戦略と、原油・軍事産業をバックにした国際戦略は自ずと違います。前者にとってブラジル危機はアルカイダよりも深刻ですが、後者ではウエイトが180度逆転する。世論がなにをピーピー言おうとやるときはやるのでしょう。クリントン政権のメキシコ救済・ヘッジファンド救済しかり、今回の軍事作戦しかり。ただ、この両者が政権交代するがゆえにチグハグに見えるのかもしれませんね。
なーるほど。これも目から鱗です。
にしても、米国は膨大な人と金と労力を使い、世界中に干渉して自らの覇権を維持・増進しようとする。ほかの国が何を言おうが気にしない。
私から見れば、ものすごい気力です。ゴクローサンとしか言いようがない。
「米国は神の崇高な意志を実現するために建国された」
という宗教的な信念が、米国内の政治権力の核にあるからじゃないかと思うんですが。
>こちらサイドからみると、あの悪条件のなかで日本は結構うまく立ち回っているように見えます。ピンと来ないかもしれませんが、そういう見方もできる、ということで。
ピンとはこないですが、そういう目でもう一度見てみることにしましょう。
>ここで意図したのは軍事紛争から目をそむけて金儲けに励めという類のことではありません。GODAさんが以前に投稿されたマッカーサー証言がヒントになります。ポイントは経済対策が国家安全保障の根幹に位置するということ。
>http://notec.s6.xrea.com/cgi-bin/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=851;id=seiji
とりあえず今は金儲けに励めという風に読めるんですが・・・まあ、上記の補足は補足として考えてみます。
>「wantとneedは違う」とは、畑を問わず、指導的立場あるいはプロを自任する人々のほぼ全員が抱いている感情かもしれないですね。
で、いつの間にかプロフェッショナルの考える「住民のneed」に、プロフェッショナル自身のwantが取って代わってしまう。よくある罠です。(たとえば長野県議会の皆さんは、その罠に嵌ってしまったように見えます。)
それを避けるためには、やはりアマチュアのwantとの摺り合せは怠ってはいけない。
面倒くさいですけどね。必要な手間です。
>おてんとう様に委ねるか、選んだ指導者に委ねるかの違い・・・みたいなことを言いたかったのです。
共同体の和を優先するなら前者、成果を求めるなら後者。
今まで通り前者でゆくほうが楽でいいんですが、どうも、うまくいかなくなってきたようで、後者を取り入れる必要があるのかなあ。田中康夫・前長野県知事の不信任は、移行期のゴタゴタという気もします。
>「国益」の「益」はご指摘の通りなのでしょうが、日本の場合は「国」の部分が実にファジーだと思います。これは、戦後アメリカの傘下で対外的な国家観・国家戦略を考える余地がなかった(今もない)こと、戦後教育を通じて国家意識や愛国心を持つこと自体がタブー視されてきたことなどが原因だと思う。自分自身を振り返って外国暮らしをして良かったと思うことの一つは、普通のまともな愛国心が育ったことです。
日本の国家観についてはおっしゃる通りかと。
一方、「国」の壁は強固ですが、全地球的な問題が増えるに従って少しずつファジーにならざるを得ない。
そういう流れを考えると、やっぱり「国」「益」という言葉は難しいです。
>「日本は今後どういう国を目指すのですか?」という問いにコンセンサスを得たら国益は自ずと定まると思います。また承知している範囲でいえば、霞ヶ関にはブループリントが用意されていると想像します。なにせ彼らは諸外国の利害とぶつかりながら朝から晩までフルタイムで国益を考えてますから。
このブループリントが「日本は今後どういう国を目指すのか」という問いに関わるものなら、いずれアマチュアのwantと摺り合わせをする必要があるでしょう。仲介となる政治家の手腕次第かと思いますが。
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