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>引用の最後の一文にある「人間の生存」が一つのキーワードだと思います。
>これをもう一歩前進させ、投資・国富・経済・社会などのシステムは生存を含んだ「リビング・スタンダード」を向上させるために存在する、と考え、その視点から原子力発電を含めた電力事業全体をどう捉えるか書きます。
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>その前に、アメリカ北東部の住人として考えさせられることは、現在のような多消費型のライフスタイルが一体いつまで維持できるのだろうか?ということ。日本で染み付いた省エネ根性ゆえにそう思うのかもしれません。停電で冷蔵庫やPCが使えなくなること、自宅の冷暖房が止まること、自動車が走らなくなること等々は、原発事故や環境破壊と同じくらい深刻である・・・というのがホンネです。よって最低限のリビング・スタンダードが維持できない(石器時代のような)状況は想定しません。
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>電力産業はどの国でもそうですが、完全なる自由競争に基づいた民間企業の形態を取りません。程度の差こそあれ政府・当局の規制を強く受けながら保護されているのが実情で、実態は半官半民。事業の性格上、儲からなくても倒産・閉鎖させるわけにはいかないですから。
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>きちんと調べたわけではないので事実誤認はあるかもしれず、ラフにしか書けませんが、以上を踏まえて、電力事業のトータルコストとリビング・スタンダードの関係を考えます。
>米国電力業界の場合、エネルギーのソースは石炭が半分。残りが原油・原子力・その他です。原油は総需要の半分以上を輸入に依存しているはず。コスト面からいえば化石燃料は安上がりに見えますが、安全保障と環境コストまで含めた国民全体のリビング・スタンダードに影響を与えるトータルコスト、となると判断は難しくなります。
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>地下資源は特定地域に偏在しており、エネルギーの長期安定供給を目標にソースを維持するためには安全保障コスト(軍事費・借款・ODAなど)が必要になる。そして国際情勢の変化やエネルギー価格の変動には不透明感がつきまといます。かりに中東有事が起きないとしても、今後途上国の経済発展が進めば、これまで先進国が欲しいだけ確保できた原油を中心としたエネルギーの需給構造は劇的に変わります。
>先のことはだれにもわからないのだから、エネルギーのソースは広く分散させるに越したことはなく、多少の問題はあっても原子力発電のオプションはホールドすべきである、というのがぼくの考えです。ましてや日本はエネルギー資源のほぼ全てを他国に依存しているのだから尚更それがいえると思う。
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>環境への影響は、原油・石炭等の資源開発に伴う環境破壊・汚染と、その消費に伴うCO2・大気汚染等を前提に、破局的なメルトダウンだけは回避できるという想定で、原子力発電がもたらす環境への悪影響をどう比較考量するかが鍵になると思う。持続的なオゾン層破壊による被爆等や温暖化による悪影響と、一定の確率的で起こりうる原子力施設のメルトダウンとそれに伴う被爆等の悪影響を比較することは、微妙な判断になるはずです。ぼくは素人ですが、その判断材料を客観的に示した資料を見たことがありません。
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>90年代に増加した電力需要の半分がIT産業の新規需要といわれており、一見してクリーンで脱工業的なハイテク産業の技術革新が、一次産業的なエネルギー需給を逼迫させたという一面がある。カリフォルニア州のようにリベラル的な環境政策を重視しすぎてエネルギー政策のバランスを欠き、エネルギー価格高騰のあおりで停電の危機に見舞われ、シリコンバレーの企業が一時的にせよ移転を検討したなどの事例は、小規模な原発のメルトダウンが起きたのと同じ効果をもたらすと考えます。
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>電力が無いところに現代人は住めないからです。
私が、なぜ、ここまで怒っている部分があるのかというと、
「廃棄物の処理問題」は極めて深刻な「地球上の全生物生存にかかわる問題」であるというのに、「エネルギー生産過程」だけで必要論や反対論を議論する「バイアスがかかっているとしか思えないステレオタイプ議論」にうんざりしているからです。
エネルギーの面のみでいう必要論、エネルギー生産過程(発電過程)での反対が多い反対論。
双方について、私は正直いいますと、難病指定の「愚劣病」としか思えませんね。
必要・不要論双方のどちらに傾いても、「人類をほとんどおしまいにできるほどの」放射性廃棄物ー「死の灰」は、現時点において十分すぎるほどあるわけです。
従って、「廃棄物の十分確実な安全処理の研究開発・実現」は、「国際的な緊急課題」なわけです。
そこを理解していない連中が多すぎるのが、深刻な問題なんです。
だから私は、「問題がある」「不便」「非効率」「廃棄物」とはいっていますが、
「原発反対・やめれ」
ということは一度も主張していないでしょうが!
そこの点を理解してない連中が、多すぎるからです!
そこをなんだか、「エネルギー問題」として受け取って、私に論を展開されているようだけど、不要論・必要論双方の論者は、この手の議論にうつつを抜かしすぎて、事態をさらに深刻にしているわけです。
繰り返し言っておきますが、原子力をやめるにせよやるにせよ、
「莫大な量の放射性廃棄物の、十分確実な安全処理」というのは、もう「人類の生存のための義務と化している問題」なわけです。
原子力の不必要・必要には、関係がないわけです。
エネルギー問題とは、別個の議論と考えるべきです。
私が、「公共問題にかかわる」で怒らせてもらっているのは、「エネルギー問題」にすりかえて議論する方法で「廃棄物問題」まで処理しようとする姑息な考えが、多すぎるからです。
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