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意外にも、3/27京都地裁初公判に白川さんがお見えになり、次のお詫び文で和解させられました。
なお、他の圧力で党の方針を変えるような自分ではない、自分のサイトには支援者との関係で書きたくない、ドクター中松氏を公認しなかったのは先に公認した宮崎氏と一緒にやりたくないためでなく、中松氏が選挙費用自分持ちはイヤだと言ったため、とのことでした。
2001年7月に行われた参議院議員通常選挙に新党・自由と希望が選挙に臨んだ際、党のWebサイト(ホームページ)の候補者の紹介欄において、Webサイトを開設している候補者についてはこれを紹介しリンクを張ったにも関わらず、安東尚美さんについては紹介およびリンクを張りませんでした。これは私が安東さんのWebサイトの存在を知らなかったために起こったことであり、誠に申し訳なく思っております。安東さんはご自身のWebサイトをリンクするように党の事務局に何度か申し入れたにもかかわらず、これを適切に処理されなかったため、最後まで是正されなかったことは誠に遺憾であります。事務局体制の不備であり、その責任は私にあります。
党のWebサイトに選挙期間中多数のアクセスがあったことから判断して、Webサイトがリンクされなかったことは安東さんの個人票の得票にかなり影響したと思います。安東さんは活発な行動によって京都大阪の党の底上げに大きな貢献をされたにもかかわらず、党のWebサイトにリンクを張られなかったため安東さんの個人票の確保に党として十分貢献できなかったことは誠に遺憾であり、心からお詫びいたします。
2002年3月27日
新党・自由と希望代表 白川勝彦
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