|
|
|
|
|
|
|
> 思想云々ではありません。
> 事態は反戦思想の先を行っています。
思い込みが激しいと、そうなるのではないですか。
米国のやっていることは「正義の押し売り」の『ふり』をしていることです。
『ふり』ですから、本来の目論見は別のところにあるのでしょう。
この間の米国が示した行為はまるで地球連邦の連邦最高判事・連邦保安官のごときであります。しかし現実には地球連邦など存在せず、米国にしてもイラクにしても北朝鮮にしても各々が国際的に認められた独立国なのであります。
> 思想の段階にとどまって、実践を考えず、思想的な完結を求めるなら、それはそれで宜しい。
新規の各種定義付けはとりあえず個人の範囲内で行ってください。
> 現実に適用できる思想なら、私如きが捉え違えることのない思想でありましょう。
しかし捉え違えが発生しているようであります。
> 少なくとも、「儒教」よりは...
読解能力に異常はございませんか。
> その手の高等な反戦思想を振りまわしても、
>1.シェラレオネのゲリラに手足をもがれた住民
>2.イラクのフセイン独裁、BC兵器問題
>3.北朝鮮の国民の人権抑圧、危険な独裁、日本に対するミサイル・生物兵器等による脅迫、実際のBC兵器保有、核開発再開
>
>といった、「戦争の火種」たりうるものが排除できるのですか?
何事も武力で解決を図ろうとするから「戦争の火種」という解釈になるのではありませんか。
民族自決の原則を超えて正規の独立国に対して武力等の制裁を伴った行動をするのであれば、最低限、それに見合った国連決議が要求されることは国際的な共通認識であります。今回の米国のイラクに対する戦争にいたるまでの一連の行動はこれまでの国連中心主義・国連平和主義の国際協調路線を完全にないがしろにし、一方的に国連の枠組みを突き崩そうという動きであります。それはいたずらに国連機能の不安定化を誘い安保理内部の2極化を現出させるものであります。事実上の国連機能の停止であります。米国が目論む中の一つでしょう。つまり「今となっては無用な足枷は要らない』ということでしょう。
> 戦争というものを病気とするなら、かならず長い潜伏期間がある。
> 反戦思想というものの多くが、「戦争」という「究極の人権侵害」は許さないとするならば、こうした「戦争に確実に結びつきうる危険」は許すのですか?
> もともと戦争というものは、大抵必ず何かの「非常に重大な人権抑圧」が対立する二者のいずれかに発生し、その後起こるものですが、そうした前段階について考察もせずに、戦争という段階になって言い出すのが、「反戦」系の方です。
自己完結型の文章になっておりませんか。
自分が問うて自分でうなずくのでは何事も解決はできません。
また戦争の定義について触れられておりますが、仮に「非常に重大な人権抑圧」が発生して起こり得る戦争があるとしたら、それは一般的には内戦の類が多かろうと考えます。通常の独立国同士において「非常に重大な人権抑圧」が原因で発生するケースは稀であろうと思います。また戦争の原因などはこの他にいろいろなものがあるはずです。
> そういう状態で、反戦思想が力を持ちうるとは思えませんね。
一度、反戦デモにでも試しに出られてみて、周りと意見交換されてみてはいかがですか。
何か新しい発見があるかもしれませんね。
|
|
|
|
|
|
|
|