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□投稿者/ 5628
- 03/3/26(水) 18:20 -
□URL:
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>管理人です。
>普通はこのたぐいのものにはレスを付けないのですが、
>
>> どうも、ご苦労様ですね。大変でしょう。
>> しかし、反戦運動にとっては、事ここに至るまで4年から10年は、こういうことにならぬように行動できるチャンスがあったように思います。
>> 少なくとも、1998〜2001.09.11くらいまでの間に、もっと効果的な行動を取れなかったのでしょうか?
>> もしそうであったなら、戦争にいたらずとも済んだし、イラクと米英に要求すべきことを効果的に要求できたのでは?
>
>上記の文面より見えて来るものとして、
>反戦思想というものをどこかで捉え違えしてます。
>でなければ、まるで理解できていないかです。
思想云々ではありません。
事態は反戦思想の先を行っています。
思想の段階にとどまって、実践を考えず、思想的な完結を求めるなら、それはそれで宜しい。
現実に適用できる思想なら、私如きが捉え違えることのない思想でありましょう。
少なくとも、「儒教」よりは...
その手の高等な反戦思想を振りまわしても、
1.シェラレオネのゲリラに手足をもがれた住民
2.イラクのフセイン独裁、BC兵器問題
3.北朝鮮の国民の人権抑圧、危険な独裁、日本に対するミサイル・生物兵器等による脅迫、実際のBC兵器保有、核開発再開
といった、「戦争の火種」たりうるものが排除できるのですか?
戦争というものを病気とするなら、かならず長い潜伏期間がある。
反戦思想というものの多くが、「戦争」という「究極の人権侵害」は許さないとするならば、こうした「戦争に確実に結びつきうる危険」は許すのですか?
もともと戦争というものは、大抵必ず何かの「非常に重大な人権抑圧」が対立する二者のいずれかに発生し、その後起こるものですが、そうした前段階について考察もせずに、戦争という段階になって言い出すのが、「反戦」系の方です。
そういう状態で、反戦思想が力を持ちうるとは思えませんね。
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