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こんにちは。
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>小泉改革は自主的にやっているのか?受動的にやらされているのか?それともやることを余儀なくされているのか?
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>今後も日本が開かれた国である以上、場合によってはシンドイことですが、対外的にある程度までオープンである必要があると思います。その潮目では必ず競争が生まれ、そして勝者と敗者が生まれ、前者が一握りであることは、まさに小川が大河に呑み込まれる水の流れのようなものです。小泉改革というよりも万有引力の法則に近い。自由主義の行き着く先は川の流れのようなものです。
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>お上が闇雲に改革を強行するよりも、規制緩和を行い(ある程度まで)自由競争に委ねることで、オープンな日本という国が維持されると思います。その結果、焼き畑のような状況があちこちに生まれます。しかし焼き畑には新しい作物が育ちます。
私は、規制緩和には大賛成なんですよ。
通信分野において政府が多くの規制を持ちすぎていたためにIT分野において日本が大きな遅れをとったことは、その必要性を説くのに十分な例だと思います。
ただし山口さんも仰っているように・・・。
>多数の敗者を作る自由主義・市場主義はアメリカでも行き詰まっています。万有引力の法則です。上に投げたボールはいずれ下に落ちてきます。勝者の没落は貧富の差を(現時点ではあくまでも統計的なものですが)縮小させる。政策的に不均衡を作らないよう留意することが長期的安定をもたらすと思います。不均衡を避けるには規制緩和(アクセル)と規制(ブレーキ)を適宜セットで行うべきで、どちらを欠いても不均衡が生まれ、最大多数の最大幸福からは遠ざかるように思います。日本は「出る杭は打たれる」の諺の通りブレーキが多すぎ、優れたシステムや優秀な人材を擁しながら、本来の強みが活かせていないように見受けられます。
問題は大きな問題を含むアメリカの自由主義・市場主義をグローバルスタンダードだとして、そのまま取り入れようとしているところではありませんか?。
また自由主義・市場主義を唱えながら、銀行や大企業を構造改革の聖域としている政策も、多くの国民に不公平感を抱かせています。
アメリカは自由主義・市場主義を最高の価値観としてこれを世界中に広めようと務めています。その戦略の中に日本も取り入れられていると言うところでしょう。
しかし、そのアメリカが行き着いた先が、昨年9月の同時多発テロであったことも、覆い隠せない事実です。
このあたりで、果してアメリカンスタンダードであるグローバルスタンダードが、私たちの国にとって最大幸福をもたらすのか、ということを考えることも大切なのではないかと思います。
>規制・セーフティーネット(ブレーキ)に関する一つのボトムラインは、先に述べた「真面目に慎ましく平々凡々と生きることを願う人にそれを許す環境」の確保だと思っています。つまり、収入はギリギリでいいから家族で仲良く慎ましく平穏に暮したい・・・と思っている人が最低限度の文化的生活を維持できないことがNGになります。もしも最大多数の最大幸福が、能力の如何を問わず、全国民に一人当たりGDP平均相当額の富を無条件に与えることを目指すとすれば、その種の志向はぼくのそれと異なります。
この部分については同意します。
過度の社会福祉の充実が、反対に国民の間の活力を削ぐことになっては本末転倒の話であることになります。
しかし、現在進められようとしている小泉構造改革は、「真面目に慎ましく平々凡々と生きることを願う人にそれを許す環境」すらも許さない、多くの国民にとって不必要なものである、と言わざるを得ません。
最近の凶悪事件や年間3万人を越える自殺者の増加を見ていますと、この国が追い詰められていることを感じます。
このような状況の中で、さらに弱者に痛みを強いることは、もはや政治ではないのではないか、この国にもはや政治は存在しないのではないか、そんなことを感じるこのごろです。
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