|
管理人です。
ずっと心に留めておこうと思っていたのですが、話したくなりました。
親父は脳梗塞の末期症状ですでに肺炎も何回か併発しており、
肺機能の低下は健康人の数分の1くらいのものでありました。
とくに右側の肺機能は死滅しており、
かろうじて左側のわずかに残った肺機能でどうにか生きておりました。
外見的にはほとんどわからないのですが、再三の病棟主治医の説明もあって
おそらくはそんなに長生きはできないだろうと受けとめておりました。
しかしまさかそれから数日の後に急逝するとは考えてもおりませんでした。
その日、遠くの外出先に女房から緊急電話が入り親父が危篤だというのです。
慌てて病院へ戻ったときにはすでに親父は息も絶え絶えで意識不明の状態でした。
ベットの周りには女房が親戚に連絡を入れたらしく見馴れた顔が並んでおりました。
親戚への挨拶が済んだその時、親父の最後の瞬間がまいりました。
それからしばらくの後、親父は息を引き取りました。
そばで話があるようにお袋が手を引っ張るので席を外すと、
お袋は待ってたように私に言いました。
「看護婦に殺された」と。
「『親父は左の肺で生きているのだから絶対に左側を下にして寝かせてはいけない』、
と主治医は言っていたのに。」(確かにそうでした。)
その朝、付き添いのお袋がちょっとベットを離れたすきに
朝の交代の(そのことを知っているはずの)看護婦が
こともあろうにそれを無視したというのです。
気づいたお袋はすぐさま元の姿勢に戻したのですが、
異変はすでにはじまっていたと言いいます。
無理な体勢がわずかに生き残っていた肺を押しつぶし
呼吸困難となり病態が急変したのです。
前の日に親父は結構元気そうであり、これならばと当日の朝は仕事の忙しさを理由に
親父の顔を見ないで仕事に向かっておりました。
まさかでありました。
医師の死亡診断書は呼吸不全でありました。
私はこのことをしばらく考えておりましたが、
結果として病院側の責任を追及することを止めることに決意しました。
理由はいずれにしても余命幾ばくもない親父の命だと考えたからです。
そのことをお袋に告げ、お袋にも理解してもらいました。
お袋には大変申し訳ないことをしたと今でも思っております。
そのときの決断が良かったのかどうか今にして考えることがあります。
親父よ、ごめんな。
|
|
|
|
|