|
|
|
|
□投稿者/ ねこかぶり
- 02/6/27(木) 20:47 -
□URL:
|
|
|
|
厳罰化と犯罪防止効果ですが、私はある程度の相関関係があると
思いますが、むやみに厳罰化を押し進めても犯罪が減るとは思わない。
だから、更正に重きをおき、その上で事件の与えた社会的影響に応じた罰を
与えるべきやないかなぁと思うわけです。まぁ、世の中にはほんまに救い
ようがない奴もいますがね。
> とすると、この「決意までの時期」というところに、長期的に重罰の
>「恐怖による制御の影響」がかかると見るべきです。
まぁ、多くの人には有効ですね。
でも、一部の人には全く無効です。
性善説にしたがってある程度因果応報を教育する方法としての犯罪に応じた
刑罰は否定しませんが、それ以上でもそれ以下であってもいけないのでは?
むやみに死刑や無期を増やすのではなく、ほんまに救いようがない犯罪者や
社会的影響が大きく模倣されては社会制度が破壊されるものに限定的に
適用すべきなんですわ。後者の場合はその政治的意図とその方法で
慎重に適用すべきで、ここらへんのバランス感覚は日本人には欠けている
と言わざる終えませんがね。
>>自発的服従>説得による服従>威嚇による服従>暴力的支配
>> という順番で権力による大衆の支配は安定します。
>> (M.ウェーバー『支配の社会学』より)
>> ですから、「社会の安定化のための刑罰強化」というのは、実
>>は社会の不安定化を助長しかねないんです。
うーん、理性が通じるネコにはそれは真実です。
ケダモノには無効です。その人間によるのですよ。
> 確かにその通りかもしれませんが、社会安全の担保は経済活動の根幹であり、
>大多数の人権保護の視点からしても、重刑罰は十分な恐怖のフィードバックに
>より、ある程度までの確率で寄与すると思います。
で、これは人間社会の制度に対する根本的な不安を与えるものに限定すべき
なんですよね。現在の社会制度の矛盾に対する挑戦と言うものに対する
ものはかなり慎重じゃなきゃいけないのですよね。
私は最終的な解決手段として暴力による社会改革である革命の権利は
否定すべきじゃないと思うのですよね。じゃなきゃ、究極の暴力的支配
からの脱出の手段がなくなっちゃうじゃないですか‥
> 昔、中学生が京阪に置石をして列車を脱線転覆させ、100人以上の怪我人
>等を出した事件など、成人の事件よりも凶悪性の高い事件やコンクリ詰め
>殺人、「バモイドオキ神」のあの事件のように、公共への恐怖が著しい
>事件を単に一つのユニットで数えるというのは、方法の妥当性を欠くと思います。
ここらへんは犯罪を起こしたときの心理状態を分析して厳罰化による
抑止効果が理性的にどの程度あるかを判断しなければいけないと
思うのですよ。たいたいそこらへんが責任能力と関連してくると
思うのですよ。まぁ、救いようがないのは隔離も必要ですが、
ヒステリックな適用は決して解決法にならないと思う。
模倣された場合重大な社会的影響が出る犯罪で現在の刑罰が軽い
物については模倣された場合で巣最悪の結果の「未遂」として
罰するべきなんですよね。上の事件もライフラインに対する破壊行為
で一歩間違えば大量の死者が出ておかしくないものなので殺人未遂
を適用しなければ著しく公正を欠くと思うのですよね。なせなら
結果的に死者が出なかったのは「ほんの偶然」の産物であると
思うのですよ。社会的コストを考えるとマネしてもらっては絶対に
困るのですわ。
|
|
|
|
|
|
|
|