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□投稿者/ 山口
- 02/6/11(火) 14:21 -
□URL:
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> 「**か」が一大保護産業なんでして、殺人の被害者にさんざんな取材攻勢をかけまくるとか、情熱が過ぎておかしなことを書いたりし、それが不特定多数に届く。
広告媒体たる彼らのビジネスモデルをほんの少し崩し、できれば視聴者・購読者が情報コストを広く浅く負担すれば、国会に頼らずとも状況はだいぶ改善すると思う。
> たとえば、マスコミの多くは、「同時多発テロの悲劇」時においては「毅然として立ち向かえ。武力行為も辞するな」という方向から、アメリカのアフガン爆撃から一月もすると、「武力行使反対」めいた論調になっとりました。
日本に住んでいる人々から「もうそっちはテロの心配は無いんだろう?」と言われることが実に多い。一般人というよりビジネスマンですよ。その情勢判断は明らかに間違い。三面記事的な人権も大事ですが、一面・二面や経済・国際面でのミスリードは国富喪失につながりかねませんね。
> それを言うとすれば、「国民が雰囲気を醸成する。それを政治家・官僚が最良の形で具現化する。この相互作用に尽きる」というほうが、わかりやすいような気もします。
> 多分、今回において山口さんの言いたいことは、かようなことと思うのですがいかがでしょう?
> ただ、雰囲気とは言っても、諸種概念やスキルの発展が著しいので、雰囲気自体もそれらにある程度確かなリンクのあるものが要請され、それは直ちに国民のレベルアップを要求するように思います。
一つのベンチマークとして、シルバーシートの廃止はトライするに値すると思います。旧大蔵省マターとは違うので、とりあえずやってみて、ダメなら諦めて元に戻せばいいと思う。
右肩上がりの時代ならボトムアップで最大多数の幸福を追求するすべがあったと思うのですが、時代は様変わりしています。必要なアジャストメントはトップダウンで行う以外にない。ボトムアップで世の中が変わるなら、選挙を通じてとっくに変わっている筈。現実は全く違っており、混迷の時代にボトムアップでマクロ的な突破口を見い出すこと自体が無謀だと思ってます。
ぼくは、ダメな一部分を見て対象を全否定し革命的な変革を夢見るというよりも、既存の枠組みの良い部分を生かしながらフォームすべきだという立場を取ります。右肩下がりの局面なので、なにをやるにしても(何もやらなくても)犠牲者が出ることは避けられない。先ず国を主導する人たちに私利私欲があってはならないと思う。不幸にして変化の余波を受けてしまった人々にはできる限りの保護を与え、社会的なシルバーシートへの着席を余儀なくされた人々に対しては、おざなりの庇護を与えて放置するのではなく、自力で立てる人が声をかけ手を差し伸べねばならない(人に強制するつもりはありません、為念)。
あらゆる自由を突き詰めた究極的な形の一つがアメリカ社会で、ああいう社会がベストだと思い、しかもローワーミドル以下に属しない自信がある人なら、アメリカに移住するのがベスト・ソリューションになります。アメリカの求心力は世界ナンバーワンという部分に裏打ちされた自由にある。同様に日本の求心力は、同じ日本人同士だからという部分にあると思う。それは日本固有のもので、アメリカには求め得ないものです。日本国の指導者は、日本の良さや強みを生かした国の将来像を示す義務があると思う。
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