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>自由を謳歌することをあたかも空気を吸うがごとくあたりまえと捉える風潮がいつのまにかはびこってしまった、ということでしょうね。
>自由を手に入れるために先人たちがどれだけの尊い犠牲を払ったのか、いま改めて歴史を振り返り真摯に問い直してみる必要があると管理人は考えます。
>自由とは必然性の認識なり。
E.フロムは『自由からの逃走』という名著を残しました。
自由とは、責任と裏腹の関係ですよね。
人は自由を与えられると、最初はそれをありがたがり、そして楽しみますが、や
がてその責任を重圧に思ってくるのです。自由を孤独に思い、自由であることの不
安に耐えられなくなってしまいます。
そして人は、自由をすて権威に服従することで孤独感と不安感を解消するか、あ
るいは自分より立場の弱い人間を服従させることで自分の弱さを覆い隠すか、どち
らかを選択すると、フロムは考えました。
たしかに「自由」というのは、大変です。
夏休みなんかの宿題に「自由研究」や「自由作文」と言われると、そのテーマ探
しに四苦八苦した経験をお持ちの方も多くいらっしゃるでしょう。
レストランや食堂、ファストフード店に行っても、多くの人がセットメニューを
注文しますよね。(まぁ、そっちのほうが割安だったりしますけど)
旅行も、すべてセットのパックツアーに人気が集まったりしています。
このように、自由というのは意外に管理やメンテナンスが大変で、ですから人は
自由にさらされているとその自由というのをだんだんうとましく思ってくるんです。
案外統制されることも大好きなんですよ、人は。
そういう風潮になれば必然的に出てくるのが、統制されルールに縛られてこそ、
本来のはたらきができ正しいおこないができる、という考えです。一見まっとうな
意見に見えますが、よくよく考えてみるとそれは自由の剥奪です。つまり「全体主
義」、「社会主義」なんです。
しかし、自由主義と全体主義・社会主義のどちらがいいのか。それは、戦前の日
本やナチスドイツ、ファシズムのイタリア、旧ソ連をはじめとした東側諸国をみれ
ばわかりますよね。
自由であればその自由を悪用する人が現れるように、統制がすすめば統制を悪用
する人も必ず現れます。どの社会にも悪人は生まれてしまうのです。そして、その
悪人を懲らしめるには、自由社会と全体社会、どちらのほうがやりやすいでしょう
か。とくに権力をもった悪人を懲らしめるには。それも過去をみれば一目瞭然です
ね。
自由であれば、自由であるのはいけないという風潮は、必ず起こります。
今の世界を見て下さい。ヨーロッパでは極右政党が進出し、アメリカも情報統制
(エシュロンによる検閲など)を行いつつあります。
しかし、統制された社会になってしまえば、自由な社会に後戻りすることはなか
なかできないということを忘れてはいけません。
自由とはそれほどに難しいものなのです。
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