石野研BBS        政治問題


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  [188] Re(3):都合のいい時だけ「わが国は法治国家だ」なんて言われても・・・
  
        
  
>>政治とは権力構造である。国民は政治に権力を
>>寄託した以上、権力が十分に機能しうる環境を
>>与えねば成らぬ。

>国民は、大多数の国民は政治に権力なんか期待していません。むしろ
>その権力構造に不信を抱いています。政治家の権力行使の役割は政治家
>にあり国民にはありません。国民が政治家の権力行使に荷担したなら、
>旧態依然の地域利益型の悪しき日本的政治の継続となるのではないで
>しょうか。

どんな目的であれ人の集団には管理のヒエラルキーが生まれます。それ
なくして秩序は無い。司法・行政・立法これすべてその手段です。
期待しまいと不信があろうと誰にもこれは逃れられないのです。委譲
した政治力すなわち権力がそのヒエラルキーに求められる能力を正当
に発揮できなければ社会は崩壊します。運用の適否以前に権力構造は
必要な前提条件です。「荷担」と形容するべき性質のものじゃない。


> 仕事が出来る環境になかったら、辞めるか、環境を改善すべく
>活動するかの選択しかありません。そもそも自ら選んだ職業に、
>仕事が出来る環境ではなかったと言うならばその職業を選んだ
>自己責任が伴います。いやになったら環境のせいにし
>「ハイ、サヨナラ」は自己中心的思考です。劣悪な環境でも明日
>の生活するために必死に頑張っている多くの人を私は知っています。

そう、一旦、政治家になり、現実を思い知らされたらどうしたら
良いか。環境を改善すべく努力するのが一番ですね。事実をすべて
さらけだし国民の問うのが一番でしょう。自己責任はもちろんです
が国民もその現実を知らなくてはならぬ。もし余りに過酷であれば
もしくはもっともっと仕事をして欲しければそれなりの環境を許さ
ねば国民もまた自己中心のそしりをまぬがれないんでは。

> GODA自身の事を言われているのでしょうか。辻元氏
>の事を言われているのでしょうか。

私のことです。同時に一般論です。

> 全くわかりません。アメリカがどのような根拠で、どんな目的で、
>どんな方法で日本の官僚支配(私は日本の政治が官僚支配に陥って
>いるとは思わない。政治家がただだらしないだけです)に関与する
>のですか。

 全く分からないとは困った。テーマが大きいのでまたにしましょう。
 
  
  
  
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  [197] Re(4):都合のいい時だけ「わが国は法治国家だ」なんて言われても・・・
  
        
  
>>>政治とは権力構造である。国民は政治に権力を
>>>寄託した以上、権力が十分に機能しうる環境を
>>>与えねば成らぬ。
>>
>>国民は、大多数の国民は政治に権力なんか期待していません。むしろ
>>その権力構造に不信を抱いています。政治家の権力行使の役割は政治家
>>にあり国民にはありません。国民が政治家の権力行使に荷担したなら、
>>旧態依然の地域利益型の悪しき日本的政治の継続となるのではないで
>>しょうか。
>
>どんな目的であれ人の集団には管理のヒエラルキーが生まれます。それ
>なくして秩序は無い。

政治家が、その権力行使に管理的ヒエラルキーを容認し、強権を発動するならば
いったいどうなるでしょうか。管理されたくない人まで管理され、ヒエラルキーの
末端にいる人々は浮かばれません。管理のヒエラルキーからは秩序は生まれません。


>司法・行政・立法これすべてその手段です。

 手段ではありません。機能でありその機能を目的とするものであります。

>期待しまいと不信があろうと誰にもこれは逃れられないのです。委譲
>した政治力すなわち権力がそのヒエラルキーに求められる能力を正当
>に発揮できなければ社会は崩壊します。
 
 残念ながら、政治権力が階層上位(と解釈しましたが)である限り
、能力を正当に発揮しようがしまいが、社会の崩壊とは無関係です。
 社会全体の崩壊なのか、政治家のヒエラルキーに合致しない一部個
 人や組織の崩壊なのか、みきわけなければいけません。


>必要な前提条件です。「荷担」と形容するべき性質のものじゃない。

 荷担は形容ではありません。動詞であり仮定です。 
>
>> 仕事が出来る環境になかったら、辞めるか、環境を改善すべく
>>活動するかの選択しかありません。そもそも自ら選んだ職業に、
>>仕事が出来る環境ではなかったと言うならばその職業を選んだ
>>自己責任が伴います。いやになったら環境のせいにし
>>「ハイ、サヨナラ」は自己中心的思考です。劣悪な環境でも明日
>>の生活するために必死に頑張っている多くの人を私は知っています。
>
>そう、一旦、政治家になり、現実を思い知らされたらどうしたら
>良いか。環境を改善すべく努力するのが一番ですね。事実をすべて
>さらけだし国民の問うのが一番でしょう。自己責任はもちろんです
>が国民もその現実を知らなくてはならぬ。もし余りに過酷であれば
>もしくはもっともっと仕事をして欲しければそれなりの環境を許さ
>ねば国民もまた自己中心のそしりをまぬがれないんでは。

 述べられる通りです。

>> GODA自身の事を言われているのでしょうか。辻元氏
>>の事を言われているのでしょうか。
>
>私のことです。同時に一般論です。

 一般論つまりその中には当然辻元氏も入っているという事ですね。 


>> 全くわかりません。アメリカがどのような根拠で、どんな目的で、
>>どんな方法で日本の官僚支配(私は日本の政治が官僚支配に陥って
>>いるとは思わない。政治家がただだらしないだけです)に関与する
>>のですか。
>
> 全く分からないとは困った。テーマが大きいのでまたにしましょう。

 テーマが大きいか小さいかは別問題として「全く分からないとは困った」
には、全く困った。
 
  
  
  
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  [199] ああ、ギブ・ミー・チョコレート(涙)
  
        
  
先ず、ぼくのワガママな個人的嗜好をはっきりさせたいと思います。
社会党=消滅キボン(笑)、鈴木宗男氏=アンチ野中一派、加藤紘一氏=期待してませんでした(カオが悪い=諸外国の指導者に比べて品がない)。スキャンダルに連座した人たちを心情的に擁護していると思われたら心外なので。失脚に追い込むプロセスに強い疑問を感じているだけです。


以下かなり長文になりますが、ごめんなさい。


> 政治家が、その権力行使に管理的ヒエラルキーを容認し、強権を発動するならば
>いったいどうなるでしょうか。管理されたくない人まで管理され、ヒエラルキーの
>末端にいる人々は浮かばれません。管理のヒエラルキーからは秩序は生まれません。


構造を所与のものにすべきだという命題に対する反駁だと思います。
ぼくもサイコの味方さんに同感。極めて優秀な人材を抱えながら、持てる能力を全く生かしきれていない(有能で良識ある人ほどヤル気をなくしてマッタリしてる)という点で、ぼくは構造に問題があるという立場をとります。別記事でGODAさんは官僚が悪いという命題も提示されていました。ぼくはそれにも反対の立場を取ります。
以下、具体的にいきましょう。


多くの方が仕事を持っておられると思いますが、「あ〜、こいつ、超アホ。全く使えん。」と思った上司は過去に一人はいるはずです。そんな上司でも、民間ならその道のキャリアがあり素人ではない。でも官庁の場合、時としてそのアホな状態に輪をかけた(専門知識・バックグラウンド無し)の超トンデモ上司(大臣)を迎えることもある・・・という現実がある・・・らしいです。身近なアホ上司をイメージして、その人に対してどう思うか考えてみてください。
実物がよく見えるがゆえに、官僚の政治不信はメディア・一般国民の比ではないはずなのです。

次に、官僚支配をケシカランとした場合、日本が政治主導で進んだらどうなったか考える必要があると思います。ここ数年の変遷をみても、小渕政権のバラマキ三昧・・・森政権のダッチロール・・・小泉政権の破壊的改革、と政策的にドリフトが非常に大きく、日本社会が持つ受容性を超越しているように思う。よって、政治主導で突撃したら今ごろはお国の一大事(ドカ貧)だった、と考えます。究極の選択ですが、ことマクロ政策に限っていえば、場当たり的な永田町よりも現状維持の霞ヶ関のほうがベターだった(ジリ貧つまり漸進的な凋落で済んだ)というのがぼくの定性的評価です。


官僚にもいろいろ問題はあると思いますが、心ある人は国民平均以上に真剣に国のことを思っており(売国奴的な政治家に爪の垢を煎じて飲ませたい)、またそういう志を持って入省した人が大部分だと思う。ぼくは、偉いなぁ・・・あんな待遇で・・・といつも感心しています。
彼らのあいだで評価が高い政治家と一般のそれは違う場合があります。これは、上司にどんな資質を求めたいかイメージすれば、大部分の方に想像がつくはず。人気投票とは違った次元です。○×の分水嶺の一つは、地に足のついた国家観や政治理念があるかどうか。その道の専門家である必要は無いと思いますが、大臣に求められる重要な資質だと思う。そういう資質を持った議員が閣僚ポスト(上司)につけば、官僚(部下)をうまく使って前向きな良い仕事ができると信じます。現状では、政官ともにどっちもどっちの感が強く、いかに外務省とて、官僚批判だけをするわけにはいかないと思っている。


>>司法・行政・立法これすべてその手段です。
>
> 手段ではありません。機能でありその機能を目的とするものであります。


法律はド素人ですが、機能・機関説を支持します。三権を手段だとするならば、その目的は何なのか?という話しになってしまう。まさかアメリカ人が英語で書いてそれを下手糞な日本語に翻訳した、あの憲法ですか?


>>> 全くわかりません。アメリカがどのような根拠で、どんな目的で、
>>>どんな方法で日本の官僚支配(私は日本の政治が官僚支配に陥って
>>>いるとは思わない。政治家がただだらしないだけです)に関与する
>>>のですか。
>>
>> 全く分からないとは困った。テーマが大きいのでまたにしましょう。
>
> テーマが大きいか小さいかは別問題として「全く分からないとは困った」
>には、全く困った。


この論点はGODAさんに近い立場を取ります。
これも具体例でいきましょう。大企業や官庁の中枢部門に知人がいる方、あるいはそこに勤務した経験がある方には、以下の話しは思い切り頷いていただける話しばかりである、と信じます。


彼ら(大企業・官庁)がちょっと判断に迷ったとき、先ずすべきことがいくつかある。その中心的な議論の一つが、「アメリカではどうか」「ヨーロッパではどうか」ということ。それを精力的に調査する。官民を問わず官僚的で硬直的なジャパニーズ組織の習性である、とぼくは理解しています。背景には欧米コンプレックスがあり、一方で主体性・思考力・創造力・決断力・当事者能力の無さがあると見ます。

欧米の制度を仔細に調査したら、次に「アメリカではこうだから、それに習ってこうしましょう」「アメリカでもそれはやっていませんから、それに習ってやめましょう」という結論が導き出されることは目に見えている。それがトップレベルの意思決定の重要な論拠を形成していると推測します。そこには主体性もなければ思考もない。
一事が万事、条件反射的にそんなりアクションしかできないところに、欧米から強い圧力がかかったら最後。「すわ、大変だ。日本は遅れている。このままではダメだ。」という議論に飛んで「なにか対応しなければ、取り残される」という話しになる。まるで水戸黄門のストーリーのようです。

だから、ぼくの目線でいえば、だらしないのは断じて政治家だけではない。

持論ですが、いわゆる「ギブ・ミー・チョコレートのダンカイ世代」には基調としてそういうノリがある。だらしないというなら、その世代にまとめてダメ/無能の烙印を押したい、というのがぼくの定性的評価であり個人的な心情です。歴史の節目で国運が傾いたとき、そんな世代が指導者層にいたことは日本国にとって不運としか言いようがない・・・。といったら言い過ぎでしょうか?

ゆえに、角福大三中(順番忘れた・・・)>安竹宮>YKK、の不等式は自明です。
世代交代を通じて国運が傾くのも無理はない、とすら思う。繰り返しますが、YKKの世代は「ギブ・ミー・チョコレート」の呪縛から終生逃れられないように見える。支配したいという欧米の思惑に乗り、終戦直後のように支配されチョコを貰いたがっている。


他ならぬ自分の国なのだから、国際協調に気を配りつつ、好きなようにやればいいのに・・・、と思って歯ぎしりしながら日本を見つめることはしばしばあります。
「こうしたらいいのに」と思うことはだれもが身近なところにあるはずですが、「では、ここをこう直しましょう」ではなく、「その前にアメリカではどうやっているのか?」と調べる方向にトンでしまうのが、ギブ・ミー・チョコレート・ジェネレーション。せめて、和魂洋才まで戻らないと・・・現状では全く見込みないと思いますけど。
 
  
  
  
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  [202] Re(5):都合のいい時だけ「わが国は法治国家だ」なんて言われても・・・
  
        
  
>>の。そしてその結果・軽重を判断するのは最終的には国民です。つまり貴方
>>であり私なのです。

> 罪の軽重を判断するのは司法です。国民ではありません。ただ国民が出来る
>ことは、選挙や住民投票(国政レベルでは皆無)位なものです。危惧することは
>その司法が、マスコミや政治、行政を意識し、あるいは圧力をかけられ、「相対性」
>すなわち情報の選択性に瑕疵があるまいかと言うことです。

 修正:そしてその結果・軽重ー>そしてその判決の軽重の適否を

 仰られるとおりです。殊に政治的事件において、司法がマスコミ・政治
その他の圧力に影響されている事は誰も否定できないでしょう。司法は厳然と
独立せねばならぬ。と、同時に民意との著しい乖離が有ってはならぬ。相克
する考え方があります。司法が「民意」をどうやって汲み取っていくか? 
難しいところです。現状では政治やマスコミを通した・作られた民意しか、
司法は知ることが出来ない。民意の反映もまた司法側の恣意性を逃れがたい。
 司法判断と民意の著しい乖離、或いは司法判断の回避や致命的な遅れ、情報
の偏在・偏向等に対処すべく、現在、法制改革が進行しています。


> 何度も言うように、根が深かろうが浅かろうが、結果として、道義的にも、
>有責性においても、犯罪可能性においても、軽重つけがたいと申し上げている
>わけです。

 個別性を重視すれば、或いはそうかも知れません。純粋に法的には。しかし
現実に=政治的に発生する犯罪には根が深いのか浅いのか、その他諸々、政治
的により重心を置いた判断をして貰いたいところです。世俗人の私にはね。
実際にもなにがしかの政治的判断―例えば「その社会性において・・云々」
「既に社会的制裁を(だったか?)・・・云々」―が按分されるようです。


> 今回の場合未熟さから始まったのではないですか。例えれば未熟な研修医が
> 医療ミスを犯した場合、未熟であろうがなかろうが医師という資格を有する
> と言う理由で厳しく刑事そして民事責任を問われます。辻元氏は代議士にな
> った時点で政治のプロなんです。
> 形式的に決着がすめば良いという問題ではない。 

 ひょっとすると誤解が有るかな。私は法は粛々と適用されるべしと述べた
はず。政治資金規正法等必要であれば適用されるでしょう。

 政治的には、対応の不味さもあり、辞任だけでは国民に対し十分な政治的責任
を果たしていないことは明らかです。しかし、その余りの未熟さゆえに私は
これ以上指弾する気にも成れないってのが本音です。
 
  
  
  
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  [203] Re(5):都合のいい時だけ「わが国は法治国家だ」なんて言われても・・・
  
        
  
リンク先を間違えましたが、削除できないのでレス2つともこちらで。

用語や用法のミスを指摘下さるのは感謝しますが、私の言わんとすることは
お分かりの筈。ちと厳しいですね(苦笑)

>政治家が、その権力行使に管理的ヒエラルキーを容認し、強権を発動するならば
>いったいどうなるでしょうか。管理されたくない人まで管理され、ヒエラルキーの
>末端にいる人々は浮かばれません。管理のヒエラルキーからは秩序は生まれません。

さて、管理のヒエラルキーという用法が間違っていたのでしょうね。私の
言うヒエラルキーとは双方向性―いわゆる管理と民意の上位伝達―を持つ
構造を想定したものです。コントロールとフィードバックのループです。

> 残念ながら、政治権力が階層上位(と解釈しましたが)である限り
>、能力を正当に発揮しようがしまいが、社会の崩壊とは無関係です。
> 社会全体の崩壊なのか、政治家のヒエラルキーに合致しない一部個
> 人や組織の崩壊なのか、みきわけなければいけません。

 双方向性を持つ構造ならどうでしょう。微修正を繰り返す柔構造です。

 この続きは3年程先にしませんか。私の修学スケジュ―ルではそうなって
ますので(笑)。

>>司法・行政・立法これすべてその手段です。
> 手段ではありません。機能でありその機能を目的とするものであります。

仰せのとおり。


> テーマが大きいか小さいかは別問題として「全く分からないとは困った」
>には、全く困った。

そう、全く困る。政治・経済・軍事・文化(思想、教育)・歴史。これら
諸々の要素から導き出した包括的評価なのですから。勿体無くて簡単には
説明できません(笑)
 
  
  
  
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  [206] Re(1):ああ、ギブ・ミー・チョコレート(涙)
  
        
  
私は日本の政治家個人については何の関心も無い。
政治全体として嘲笑しか感じられないのですからね。
それはそれとして何を国会議員に求めるかと言えば、
知性・品性・強靭な精神です。これは譲れない。

一世一代の大芝居たる記者会見で、涙を流し、国民に
甘えるようなネンネに国務なんぞ任せられるか。まし
てやこれは演技なのだからね。いやはやなんと卑小な
る精神なるかな。心の底から嘲笑申し上げる。


格別に異論など有りません。というよりほど一致します。

社会構造の話はまあ私の不注意から始まったことですが、
力の一方的な管理体制を想定していたのではないという
ことです。組織における権力のツリ―構造には合理性が
ある。また現にツリー構造無き巨大組織は無い。
幾つかの権力階層を通過することで発生する上部と下位
の乖離という弊害は、権力の分散独立(三権)や限定付の
下位から上位への直接のパスを用意する。これが日本の
現状でしょうかね。(第四の権力が伸長しましたが)
べつにヤヤコシイ事を言いたかったのでは無い。
政治家は選ばれた以上、それなりの役目を果たさねば
成らぬ。果たせる環境は与えられねば成らぬ。そして
その役目とは政治、政治とは即ち権力の行使なのです。
権力は、信頼し、与え、監視するものです。

官僚云々の件は、アメリカ・議会・マスコミという
構図に無理やり官僚をはめ込んでみたものですが、
行政改革施工後で官の批判が下火になった今、ちょっ
と時代遅れの感はあります。良い悪いではなく、
どなたかが仰られたように、政治家がだらしなさ過ぎる
というのが現実です。日本の官僚が素質として優れて
いる事は疑いない。凡才の私でさえ日本の政治家は嘲笑
するのだから、官僚が馬鹿にするのは当たり前。

官僚は専門家なのだから政治家はその分野において
歯が立たないのは当然。政治家に求められるのは正に
政治力、すなわち使いこなす能力。人間への洞察力・
知性・思想でしょう。


>法律はド素人ですが、機能・機関説を支持します。三権
>を手段だとするならば、その目
>的は何なのか?という話しになってしまう。まさかアメ
>リカ人が英語で書いてそれを下
>手糞な日本語に翻訳した、あの憲法ですか?

既に訂正済みです。何度も突っ込まれるのはシンドイね(笑)


アメリカと日本の関係については異論はありません。

何年にも渡って論じてきたことで、もう飽きてます(^^;)
政治・経済・軍事・文化・・この国のあらゆるジャンルを
包括した戦略的視点から、私は97年に日本に見切りを
つけました。その後5年を経過した今はどうかと言えば
当時の想定を上回る酷さです。だがまあ、中国高官が漏ら
したように「2010年に日本は消滅する」ことは無い。
ひとまず私が生きられる間はね。

アメリカの精神的クビキを逃れる(=大人としての自立的
精神の獲得)のにはもうしばらくかかります。東京裁判・
日本占領統治における対日戦略の最大関心事項の達成に、
アメリカは見事に成功したのです。
 
  
  
  
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