石野研BBS        政治問題


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  [199] ああ、ギブ・ミー・チョコレート(涙)
  
        
  
先ず、ぼくのワガママな個人的嗜好をはっきりさせたいと思います。
社会党=消滅キボン(笑)、鈴木宗男氏=アンチ野中一派、加藤紘一氏=期待してませんでした(カオが悪い=諸外国の指導者に比べて品がない)。スキャンダルに連座した人たちを心情的に擁護していると思われたら心外なので。失脚に追い込むプロセスに強い疑問を感じているだけです。


以下かなり長文になりますが、ごめんなさい。


> 政治家が、その権力行使に管理的ヒエラルキーを容認し、強権を発動するならば
>いったいどうなるでしょうか。管理されたくない人まで管理され、ヒエラルキーの
>末端にいる人々は浮かばれません。管理のヒエラルキーからは秩序は生まれません。


構造を所与のものにすべきだという命題に対する反駁だと思います。
ぼくもサイコの味方さんに同感。極めて優秀な人材を抱えながら、持てる能力を全く生かしきれていない(有能で良識ある人ほどヤル気をなくしてマッタリしてる)という点で、ぼくは構造に問題があるという立場をとります。別記事でGODAさんは官僚が悪いという命題も提示されていました。ぼくはそれにも反対の立場を取ります。
以下、具体的にいきましょう。


多くの方が仕事を持っておられると思いますが、「あ〜、こいつ、超アホ。全く使えん。」と思った上司は過去に一人はいるはずです。そんな上司でも、民間ならその道のキャリアがあり素人ではない。でも官庁の場合、時としてそのアホな状態に輪をかけた(専門知識・バックグラウンド無し)の超トンデモ上司(大臣)を迎えることもある・・・という現実がある・・・らしいです。身近なアホ上司をイメージして、その人に対してどう思うか考えてみてください。
実物がよく見えるがゆえに、官僚の政治不信はメディア・一般国民の比ではないはずなのです。

次に、官僚支配をケシカランとした場合、日本が政治主導で進んだらどうなったか考える必要があると思います。ここ数年の変遷をみても、小渕政権のバラマキ三昧・・・森政権のダッチロール・・・小泉政権の破壊的改革、と政策的にドリフトが非常に大きく、日本社会が持つ受容性を超越しているように思う。よって、政治主導で突撃したら今ごろはお国の一大事(ドカ貧)だった、と考えます。究極の選択ですが、ことマクロ政策に限っていえば、場当たり的な永田町よりも現状維持の霞ヶ関のほうがベターだった(ジリ貧つまり漸進的な凋落で済んだ)というのがぼくの定性的評価です。


官僚にもいろいろ問題はあると思いますが、心ある人は国民平均以上に真剣に国のことを思っており(売国奴的な政治家に爪の垢を煎じて飲ませたい)、またそういう志を持って入省した人が大部分だと思う。ぼくは、偉いなぁ・・・あんな待遇で・・・といつも感心しています。
彼らのあいだで評価が高い政治家と一般のそれは違う場合があります。これは、上司にどんな資質を求めたいかイメージすれば、大部分の方に想像がつくはず。人気投票とは違った次元です。○×の分水嶺の一つは、地に足のついた国家観や政治理念があるかどうか。その道の専門家である必要は無いと思いますが、大臣に求められる重要な資質だと思う。そういう資質を持った議員が閣僚ポスト(上司)につけば、官僚(部下)をうまく使って前向きな良い仕事ができると信じます。現状では、政官ともにどっちもどっちの感が強く、いかに外務省とて、官僚批判だけをするわけにはいかないと思っている。


>>司法・行政・立法これすべてその手段です。
>
> 手段ではありません。機能でありその機能を目的とするものであります。


法律はド素人ですが、機能・機関説を支持します。三権を手段だとするならば、その目的は何なのか?という話しになってしまう。まさかアメリカ人が英語で書いてそれを下手糞な日本語に翻訳した、あの憲法ですか?


>>> 全くわかりません。アメリカがどのような根拠で、どんな目的で、
>>>どんな方法で日本の官僚支配(私は日本の政治が官僚支配に陥って
>>>いるとは思わない。政治家がただだらしないだけです)に関与する
>>>のですか。
>>
>> 全く分からないとは困った。テーマが大きいのでまたにしましょう。
>
> テーマが大きいか小さいかは別問題として「全く分からないとは困った」
>には、全く困った。


この論点はGODAさんに近い立場を取ります。
これも具体例でいきましょう。大企業や官庁の中枢部門に知人がいる方、あるいはそこに勤務した経験がある方には、以下の話しは思い切り頷いていただける話しばかりである、と信じます。


彼ら(大企業・官庁)がちょっと判断に迷ったとき、先ずすべきことがいくつかある。その中心的な議論の一つが、「アメリカではどうか」「ヨーロッパではどうか」ということ。それを精力的に調査する。官民を問わず官僚的で硬直的なジャパニーズ組織の習性である、とぼくは理解しています。背景には欧米コンプレックスがあり、一方で主体性・思考力・創造力・決断力・当事者能力の無さがあると見ます。

欧米の制度を仔細に調査したら、次に「アメリカではこうだから、それに習ってこうしましょう」「アメリカでもそれはやっていませんから、それに習ってやめましょう」という結論が導き出されることは目に見えている。それがトップレベルの意思決定の重要な論拠を形成していると推測します。そこには主体性もなければ思考もない。
一事が万事、条件反射的にそんなりアクションしかできないところに、欧米から強い圧力がかかったら最後。「すわ、大変だ。日本は遅れている。このままではダメだ。」という議論に飛んで「なにか対応しなければ、取り残される」という話しになる。まるで水戸黄門のストーリーのようです。

だから、ぼくの目線でいえば、だらしないのは断じて政治家だけではない。

持論ですが、いわゆる「ギブ・ミー・チョコレートのダンカイ世代」には基調としてそういうノリがある。だらしないというなら、その世代にまとめてダメ/無能の烙印を押したい、というのがぼくの定性的評価であり個人的な心情です。歴史の節目で国運が傾いたとき、そんな世代が指導者層にいたことは日本国にとって不運としか言いようがない・・・。といったら言い過ぎでしょうか?

ゆえに、角福大三中(順番忘れた・・・)>安竹宮>YKK、の不等式は自明です。
世代交代を通じて国運が傾くのも無理はない、とすら思う。繰り返しますが、YKKの世代は「ギブ・ミー・チョコレート」の呪縛から終生逃れられないように見える。支配したいという欧米の思惑に乗り、終戦直後のように支配されチョコを貰いたがっている。


他ならぬ自分の国なのだから、国際協調に気を配りつつ、好きなようにやればいいのに・・・、と思って歯ぎしりしながら日本を見つめることはしばしばあります。
「こうしたらいいのに」と思うことはだれもが身近なところにあるはずですが、「では、ここをこう直しましょう」ではなく、「その前にアメリカではどうやっているのか?」と調べる方向にトンでしまうのが、ギブ・ミー・チョコレート・ジェネレーション。せめて、和魂洋才まで戻らないと・・・現状では全く見込みないと思いますけど。

 
  
  
  
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