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□投稿者/ 山口
- 02/3/27(水) 16:28 -
□URL:
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>どうもこの掲示板で最近いささか気になる論調があって、
>何か「能力ある人は多少の違法行為はいたしかたないのでは」と受け取られれかねない
>論調が一部にあるように感じられてしまうのです。
>もしそうだとすればこれはきわめて危険な考え方だと思います。
>
>辻元氏は有能かもしれないし、鈴木議員もある面では変えがたい能力の持ち主といえなく
>もない。がそれと断罪とは別ものです。
>「あいつはできるから大目にみよう」とか
>「あいつはいなくてもいいからしょっぴこう」とか
>なったらこの世は闇かと思いますが、いかがなもんでしょう。
そういう論調を撒いた一人だと自覚していますが、言わんとしたのは、能力(専門知識)と性格(倫理・道徳)は別物だろう、ということ。宗男バッシングがピークだった頃に一時帰国しておりまして。そのときの共産圏国家のような空気が異常だと感じたがゆえにそう発言しました。
世論の力で矯正可能なのは後者の倫理・道徳面「だけ」です。ゆえに、利害関係がない選挙区外の有権者・メディア・評論家にそういうバイアスがかかるのは必然的だと思う。しかし、究極の選択として、「無能ないい人」と「有能な悪い人」のいずれかを国会議員に選ばねばならないとしたら、どうしますか?同僚ならどうですか?ぼくの価値観からいえばノータイムで後者。トモダチ選びじゃありませんから。
有権者には議員を選んだ責任があるのだから、リーチが届く倫理・道徳面を適宜監視し、今回のような事態に陥るリスクを引き下げる責任と義務があるように思う。一連の騒動は、親が子供の非行を黙認し続け、刑務所に入ってから激怒する絵に近いです。世論が自分の馬鹿さ加減を誤魔化すために暴れているようにも見える。
親はなくても子は育つという諺もあります。勉強は学校に任せるにしても、警察・司法のご厄介にならないようにするのが親(有権者)の努めではないですか?
サイコの味方さんが言うような姿は本来あるべき考え方だとは思いますが、残念ながら、日本のシステムは機能不全に陥っています。外から見るとダブル・スタンダードに見える。メディア主導の人民裁判・欠席裁判で大勢が決まり、司法に行く前の段階で有罪が確定したかのように見える一方、法治国家だから法律は守るべきだ、という話しの進み方がおかしいのです。その場限りのお手盛りの人民裁判が横行する理由は、司法が白黒の判断を示さない/示せないからで、日本における三権はワシントン・内閣・メディアであるかのように見えます。
何人もの小学生を殺害したにもかかわらず死刑を免れる可能性があり、兆単位の不良債権を作っても刑務所に行かずに済むような国で、億円未満の金銭スキャンダルごときがなぜ国を挙げた問題になるのか、理解に苦しみます。
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